◆39 二箇相承について …正統論議を越えて2006/05/24 魯ひとの云く富士門徒ないし創価学会が日蓮の正統であるというような議論は、外部の人にとっては、なんら説得力のある話ではない。それはあくまで信仰者の自己規定にとどまることである。 富士門徒が「二箇の相承」をどのように振り回しても、身延の人々や、日朗、中山の門流にとって、過去も現在も、ただの一度だって説得力をもったことはない。 何の説得力も無いどころか、富士門徒が、それを本物であると力説すればするほど、嘲笑のまとになるだけのことであった。 しかし問題は、長いあいだ、富士門徒が、嘲笑されてもなお「二箇の相承」の「印籠」を捨てなかった理由は何かということである。 それこそ、幕府のお墨付きを得た「身延門徒」の圧倒的な勢力の前で、弱小の「富士門徒」が自らのアイデンティティを守って結束するために「二箇の相承」が不可欠だったからである。 「身延山なにするものぞ、我らの方こそ、日蓮大聖人の直系なるぞ」と。 言うならば、幕府、世法のお墨付きに対して、日蓮、仏法のお墨付きをかざすことによって、それを切り返してきたといえるのである。 戦後の創価学会が二箇相承を掲げたのもある意味で同じことであった。違うのは、広宣流布にかける情熱の質的な差であろうか。 「日蓮=日蓮宗=身延山」という、世間の常識を打ち破って、弱小新参の創価学会が、否、病人と貧乏人の集りに過ぎなかった学会員が、「われらこそ、日蓮大聖人の直系である」と自己規定して、弘教に乗り出して行く上で「二箇の相承」という即物的な文証が大きな効力を発揮したことは否定できない。 その意味において、この文証がどれほど巨大な効果をもたらしたか、学会員自身が気付いていないようである。かつて自分たちが、この文証を前にして熱くなったことを忘れてはならないと思う。(若い人には、もはやそのような体験はないと思われるが) また、他門流の人々が、「二箇の相承」を嘲笑している間に、学会員は「二箇の相承」のもつ実をつかんでしまったということでもある。 しかし、今や創価学会は巨大になった。ここまで登りつめて来くると景観は一変する。学会員の視野から「二箇の相承」の威力が消滅してしまったのである。ここにおいて元の針金教団に転落してしまった大石寺が、今なお「二箇の相承」にしがみついているのと、鮮烈な対照を見せることとなった。 だから今、問題となっているのは、このような「印籠」の説得力の問題ではなく、「二箇の相承」の真偽論といった言い古されたことでもなく、学会員の中で誰一人「二箇の相承」に熱くなる人はいなくなったという峻厳な事実である。 それは「二箇の相承」というお墨付きを必要とする時代は終ったということなのである。 いまや他者に対して「自分たちこそが、直系なのだ」という正統論議ではなく、事実のうえで、「日蓮仏法はすばらしいのだ」ということを証明してゆかねばならない時代になったということである。自らが目指す広宣流布という言葉に、より普遍的で具体的な意味を提示できなければ何の価値も持たなくなったのである。 時とともに効力が消えてしまうもの。それを「迹」といい、「化城」というのである。 いま、「本門の時代」といわれる所以は、そこにあろう。いつかは消え去るものを追っかけるのではなく、永遠に消えざるものを確立していかねばならないということである。まさに、今や何が生き残るのか、何を残すのか、生き残りをかけた壮絶な時代が始まっている。 それを古い言葉で「発迹顕本」という。
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