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◆35 風益求羅(ふうやくぐら)

2006/01/24    魯ひとの云く

 
 このほど篆刻で「風益求羅」(ふうやくぐら)の朱印をつくって頂いた。「風益求羅」とは『摩訶止観』に出てくる言葉で、日蓮も御書に「風の求羅を益すが如きのみ」(御書 p916)と引用している。もちろん、この求羅は「からぐら」の略記で正記には「迦羅求羅」と書く。

 この「からぐら」は、伝説中の動物、架空の生物ということで、その正体は分かっていない。伝説中の動物なら、何か具体的なもののイメージがもとになっているはずだと思われる。いかなるイメージから派生したものであるのか。からぐらのメンバーで探求し、議論したことがある。

 言葉の一番古い出典と思われるものは、鳩摩羅什訳の『大智度論』で「譬へば迦羅求羅虫の如く、其の身は微細なれども風を得れば転た大なり。乃至能く一切を呑食す。」(T25-p113b)とある。

 この正体を知るために先ず考えたことは「小さな虫」「風」「大きくなる」の三つをつなぐものは何かということである。

 「からぐらと申す虫は風を食とす・風吹かざれば生長せず」(御書 p1571)
「求羅と申す虫は風を食す」(御書 p1060)

 そこで最初に閃いたのは蜘蛛の子のことであった。俗に「蜘蛛の子を散らす」という言葉があるが、蜘蛛の子が卵から孵って卵嚢から出てくる光景は壮観なものがある。だいたい一つの卵嚢から250匹ぐらい出てくるという。それが風に吹き散らされるようにいっせいに四方に散らばっていく。

 樹上のものになると、さらに壮観である。細い糸の先に蜘蛛の子がくっついて、まさに凧のようにいっせいに風に乗って飛んでいくのである。まさに、そのようにして蜘蛛は繁殖していくのである。

 ゆえに蜘蛛は、風を食らって増殖すると古代の人が観察したとしても不思議ではない。この蜘蛛の子の繁殖のイメージから、「からぐら」はつくられたものではないかと考えたのである。

 ただし、これをもって決定とするには、いまひとつパンチが足りないようにも思える。

 春先の生命の躍動感からくるイメージだとすると、北京名物の「柳絮」も「からぐらの」正体の候補に挙げられるかもしれない。「柳絮」とは、ポプラの一種「毛白楊」の綿のような実が風に乗って舞い散り、一面をうめ尽くす風光である。その様子は、風流で、詩文などに多く詠まれている。

 しかし、北京名物ともなるようなものなら、インドから中央アジアを経てきた鳩摩羅什たちが「からぐら」と名づけることはなかったろう。また、「からぐら」にはインドには無いそうだから、恐らく中央アジアのシルクロードを起源とするものではないだろうか。

 そこである人が提示してくれたのが、シルクロードに吹く「カラグラン」という砂嵐のことであった。

 昨年からNHKで『新シルクロード』が放映されているが、その第1集が「楼蘭 四千年の眠り」である。この最後のシーンで、この「カラグラン」が吹いている。

 「カラグラン」のことは同じNHKが、タクラマカン砂漠のホータン河を特集した番組を放映したことがあったが、その中で「カラグラン」について詳しい説明がなされていた。

 春、雪解け水が山から下ってきた影響で乱気流が発生し、それによって砂塵が巻き上げられて起こる砂嵐のことである。要するに乱気流(風)によって砂塵が巻き上げられ、それがどんどん成長し巨大な砂嵐となって一切を飲みつくして行くのである。まさに「一切を呑食す」にピッタリ符合する。

 これが「からぐら」の正体ではないか、という予感はかなり確実性が高いものだと思われてならない。あとは言語学者による言語学的な側面から実証を待ちたいと思う。

 「カラグラン」は、一切を飲みつくす砂嵐といっても、地元の人々にとって決して悪いイメージではない。それは厳しい冬をつき抜け、春の訪れを告げ、人々に農耕の準備を促がす待望の風物であるからだ。

 私たちの住む日本においても、これと似た風物がある。
 そう、「春一番」の突風である。
 「風益求羅」のこの風とは、まさに春一番の突風のことなのだ。

 皆さま、まだまだ厳しい寒さが続くけれど、「冬は必ず春となる」の金言を胸に、自らが春一番の突風となって駆け抜けて行こう。


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