◆30 『東征伝絵巻』について2006/01/04 魯ひとの云くちょっと興味深い史料がある。『東征伝絵巻』(重要文化財)という。淡海三船(おうみのみふね)の著『唐大和上東征伝』を絵巻物にしたもので、鑑真和尚の日本来訪の記録(物語)である。 『唐大和上東征伝』は奈良時代の著作であるが、絵巻物『東征伝絵巻』が描かれたのは13世紀の鎌倉時代である。 ところで、興味深いのは、これを作らせたのが、他でもない極楽寺良観なのである。そしてこれを作ったのも鎌倉の極楽寺においてという。 この絵を描いたのは六郎兵衛入道という人で、鎌倉在住の武士とみなされている。この絵巻物には唐の天台山の国清寺や大明寺が描かれているが、六郎兵衛入道は中国に渡ったとは思われず、おそらく実物をみていないはずである。 絵巻物の絵は、たしかに中国の風物のようであるが、よく見るとかなり日本化されていることがわかる。つまり絵師は中国の絵画などから中国の風物に対する知識は豊富にもっていたと思われるが、絵巻物の具体的なモデルは当時の日本の寺院であろう。 そうなると、ここに描かれている建物は絵師が仕事をしていた寺、鎌倉時代の極楽寺そのものである可能性が非常に高くなってくる。破風や屋根の形など、どうみても中国の建物ではなく日本のものである。 また中国の役人の姿は中国の絵画にみるものと変わらないが、そこに描かれている通行人や商人、職人の姿は、服装などは中国人のようであるが、その動きはどうみても日本人である。肩から背中に広がるくりから紋々、刺青男はやっぱり日本人であろう。 そういう意味から、この絵巻は、鎌倉時代の日本の風俗を知る一級史料でもある。 それから、とても気になる絵がある。白覆面をして地面にはいつくばっている男の絵である。このような絵は他の中世の絵巻物でも多く見かける。代表的なのは『一遍聖絵』といえばお分りであろう。こういう風体の人は極楽寺の周辺や由比ヶ浜にも多くいた。犬神人やらい病者の姿である。 なぜ、それがなぜ、『東征伝絵巻』に描かれているのであろう。詞書を読んでようやくわかった。絵の中のこの男は、鑑真たちの渡航計画を海賊と関係していると誣告した男としているのである。誣告する男を賎しみ蔑むために、そういう姿に表現したのであろう。 しかし、じっさい誣告したり、密告したりする人はそんな姿をしない。逆に怪しまれ、疑われることになる。問題はここにある。良観は、らい病者の救済を呼びかけて活動していた。鎌倉の桑が谷には療養所もつくった。だから聖者と呼ばれる。だから日本のマザーテレサという人もいる。ならば、良観は、彼らの姿、風体をずっと見ていたはずである。 その良観が誣告者を描かせるのに、なぜ、らい病者の姿を使ったのであろう。ここに、良観の本音が覗いている。良観は、らい病者を救済してやる存在として見てはいても、決して誇りある人間と見なしていなかったことがここからも分かる。 もし、良観の救済活動が、らい病者と同苦しての行動なら、らい病者の姿を賎しむべき誣告者の姿として描けるわけがないであろう。良観の活動が偽善的であったことは、このことからも分かるというものである。 なお、絵巻でも、原本の「唐大和上東征伝」でも、この誣告者を高麗僧如海としているが、これには別な問題がある。それが歴史的事実とする根拠は薄弱である。むしろ奈良時代当時日本のライバルであった高麗の僧侶にその罪をかぶせたというところであろう。こういうところも、歴史文献は丁寧に読み取らねばならない。 高麗僧如海が誣告した理由というのが、日本渡航の人選から外されたことだとしているが、どうして、高麗僧が日本渡航を望む必要があったのであろう。如海自身が留学僧の立場であるから、彼の念願は、学問が成った暁には母国高麗に帰ることだったはずで中国から、さらに異国の日本へ行く人選から外されたからといって嫉妬しなければならない理由は全くない。 今回のご紹介は、『東征伝絵巻』日本の絵巻15 昭和63年 中央公論社刊 小松茂美編。解説もよく出来ていて、御書を学ぶ上で参考になる古文書が記されていたりする。
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