他の記事を読む

さらに霊鷲山 2008/03/17





★からぐらの風 #0059 --------------------------------------2008/03/17
----☆さらに霊鷲山☆--------------------------------------------------

 もう少し霊鷲山にこだわってみよう。そしてショペン氏の説(第55号参照)に対して魯ひとは少し修正を加えたいと思う。ショペン氏は大乗仏教が起こったのは僧院の中としたが、しかし内部で争っている間においては、それはまだ部派仏教の内部矛盾でしかなかった。大乗仏教の誕生は、その僧院を退出して山林を目指すというその行動にこそあったと思われる。その行動によって質的転換、質的昇華が起こったのである。

--------------------------------------------------------------☆☆----

 その一歩を踏み出し山林を目指した大乗菩薩たちの瞼の裏にあったのは、かつてブッダが晩年をすごしたという霊鷲山のことであったろう。かくて霊鷲山は大乗仏教のシンボルとなったのだ。

 現実の霊鷲山はというと、かつての王舎城の郊外にある潅木の茂った小高い岩山に過ぎない。特に美しい山でも名山でもない。小さな山である。しかし、かつてそこにブッダがいて人々に多くの説法していたということがアーガマのそこかしこに記されている。このことは、大乗菩薩たちの憧れのシンボルとして十分に価値のあることであったろう。

 そういう意味で法華経の二処三会という壮大な儀式が展開されるのが霊鷲山であったことは故のないことではなかった。その上で展開される虚空会の儀式は単純にみれば言葉の上の空なる観念といえる。しかし、そこに基礎付けられている霊鷲山が大乗のシンボライズであることがわかれば、にわかに虚空会も現実的な意味合いを持ってくる。(虚空会のことはもう少し暖めてから公開する)

 霊鷲山がシンボル(象徴的存在)であったことを示す興味深い表現が法華経妙音菩薩品にみえる。

 「此の娑婆世界の耆闍崛山に来詣す」(法611)

 この箇所は梵文和訳の岩本裕氏の訳(注)によると次のようにある。
 「彼はサハー世界に来て、山の王者グリドゥラ=クータに近づき」(下-223)

 この箇所は最近出た新しい梵文和訳である植木雅俊氏の訳(注)では次のようにしている。
 「その〔菩薩〕はこのサハー世界のあるところ、また山の王であるグリドラクータ山(霊鷲山)のあるところ、そこへ近づいた」(下473)

 また普賢菩薩勧発品にも同じ表現がみられる。ここでも羅什訳には「山の王」の表現はみられない。

 岩本訳「彼は山の王者グリドゥラ=クータに赴き、世尊に近づき」(下317)

 植木訳「その菩薩は山の王であるグリドラクータ山(霊鷲山)のあるところ、また世尊のおられるところ、そこへ近づいた」(下555)

 いずれも、霊鷲山を「山の王」としているのであるが、これは不思議な表現としなければならない。古代インド社会では「山の王」とは、須弥山(スメール)のことと決まっていたと思われるし、山の規模からいえば、どうみてもあの小さな岩山が「山の王」としての風格を持っているとは言えないだろう。

 スメールを「山の王」とみる用例では、同じ法華経の薬王菩薩品(岩本訳下197,植木訳下441)に見えている。引用文略す。

 しかし、「妙音菩薩品」「普賢菩薩品」と「薬王菩薩品」の用例の違いははっきり出ている。前者は釈迦如来とセットで語られるのに対して、後者では大きさの比較の基準を示すために用いられている。

 つまり客観認識(当時)としての「山の王」は須弥山であることを認めつつ、大乗菩薩の主観的宗教心情の上では「山の王」は釈尊が法(法華経)を説いた霊鷲山であると位置づけを切り替えているのである。

 このことは、また日蓮が故郷の小さな荘園を自らが法華経の題目を高唱して立教開示したことをもって「日本第一の御厨」と呼んだ心情を思い起こさせる。このことは『日蓮自伝考』(p229)で述べたことである。

 このような言葉の小さな変化には、本質を理解する重要なカギがあるものである。ゆめゆめ軽視してはならない。

 ここで、少し問題の角度が違うが、日蓮が晩年にターミナルケアとして唱えた「霊山浄土」の思想について少し述べておきたい。この言葉は日蓮のオリジナルではなく、私の知る限りでは伝教最澄の「内証仏法相承血脈譜」(伝教大師全集1-215)が初出だと思われる。

 この浄土観は西方極楽浄土や東方浄瑠璃世界といった他方世界に浄土をみ、そこへの往生を説くあり方とは違うと思われる。霊鷲山のあるこの娑婆世界を土台として、霊鷲山が象徴するところの大乗の菩薩行を実践する果てに到達する絶対安心の境地を霊山浄土と呼んだものと考えられる。それがとりもなおさず、仏界という境涯であろうことは十界論の上でうなづけることである。

 もちろん、これはターミナルケアとしての信仰表現であって、一念三千、十界互具論の上から表現するならば、菩薩行を最期まで歩み通すその人生全体が仏界の顕現としてある、と私には思われる。これは今まで人生の大先輩たちをお見送りしてきた上での感想である。

----☆注記☆----------------------------------------------------------

坂本幸男・岩本裕訳注『法華経』2001年、岩波文庫

植木雅俊訳『梵漢和対照・現代語訳/法華経』2008年、岩波書店

山中講一郎著『日蓮自伝考』2006年、水声社

--------------------------------------------------------------☆☆----
_/_/^/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/~/_/_/

(ー_ー).。o○
からぐら文庫 : http://www.ginpa.com/karagura/
魯ひとへのメールは :
https://sv21.wadax.ne.jp/~ginpa-com/cp-bin/phpformmail/


●関連記事



    からぐらの風・indexへ