なぜ霊鷲山なのか 2008/03/14★からぐらの風 #0057 --------------------------------------2008/03/14 ----☆なぜ霊鷲山なのか☆---------------------------------------------- 「釈尊は最後の八年間に霊鷲山で法華経を説きました」という話を、法華経を信じる知識人の中でどれくらいの人が信じているであろうか。そのような統計はどこにもないが、おそらく「大乗非仏説」は受け容れざるを得ないというのが本音のところにあると思われる。しかし、もう一面、法華経が訴えかけるもの、および日蓮の生き方から、法華経に否定できない「真実」を強烈に感じていることも事実であろう。 --------------------------------------------------------------☆☆---- そこで、多くの信仰者が葛藤し、判断を停止し、信仰と学問は別だという合理化に逃げている現状もあるのではないだろうか。しかし、私は合理化は問題解決ではないし、思考は停止してはならないと思う。もし、信仰があるというなら、そんなところで立ち止まらずに、自分が本当に腹の底から納得できるまで考えるべきだと思う。 私は、この問題は、大乗とは何なのかということを真剣に考えれば答えは出ると思っている。ただし、そのためには民衆と権威との戦いであるとか、在家と出家の戦いであるといったイデオロギー(注)や先入観をかなぐり捨てる必要があると思う。ブッダの法ははじめから民衆のものであり、反権威である。 また、大乗は大きな乗り物の意味だからといった形式的な発想も無意味なことだと思う。そんなことは運動のスローガンにすぎないと思う。ブッダの説いた法はもともと大きな乗り物だったのだ。 イデオロギーを捨てて単純に考えれば、大乗興起とは「ブッダの精神に帰れ」という運動であったことが自然に了解されよう。どんな優れた思想であろうと、高邁な教えであろうと、人の営みというものには、いつしか惰性が忍び寄り、形骸化し、腐敗していくものだと思う。 だから、そういう形骸化がおこった時に、原点回帰の運動がおこるという種が、ブッダの法の中にはあらかじめ用意されていたようにも思われる。 大乗経典の「金剛般若経」には次のようなことが説かれている。「筏の喩えの法門を知る人は法をさえも捨てなければならない。まして法でないものはなおさらのことである」(岩波文庫『般若心経・金剛般若経』p57) この筏の喩えとは、アーガマ(初期経典)の中部経典の第二十二経「正しい教えの把握の仕方」に出ている。その趣旨は、「川を渡るのに、筏が必要であるが、川を渡り終えたら、筏は必要なくなる」ということで、たとえブッダの説いた法であろうとそれを絶対視したり教条的に捉えてはいけないとするものである。 つまり、僧院内で経典を絶対化して教条的な解釈が横行してくると、そのような経典を排してブッダの精神にもっとダイナミックに迫ろうとする揺り戻しが起こってくるのも必然的なことである。このブッダの筏の喩えが「金剛般若経」に出てくるということは、大乗派の人々がアーガマのこの喩えに注目していたことを証明することとなる。 つまり、大乗経典はブッダが説いたアーガマに対する深い理解の中から生まれてきたことを意味しよう。いや、「法華経」をはじめとする大乗経典は、その内容を検討すればするほど、アーガマと切っても切れない関係があることが鮮明になってくる。 じつはアーガマと大乗経典の関係は「五味」の喩えのなかにはっきり示されている。五味とは、乳、酪、生蘇、熟蘇、醍醐のことであるが、ここでいう乳とはアーガマのことである。酪から醍醐まですべて乳から作られた乳製品である。 天台五時教判のなかでは乳味を「華厳経」に配当してあるが、あれは恣意的なものに過ぎない。日蓮が乳味をアーガマと理解していたことは「諫暁八幡抄」に見える。 「阿含小乗経は乳味のごとし。方等・大集経・阿弥陀経・深密経・楞伽経・大日経等は酪味のごとし。般若経等は生蘇味の如く、華厳経等は熟蘇味の如く、法華・涅槃経等は醍醐味の如し」(s1832.14,h1531.07,p577.05) つまり、「法華経」をはじめとする大乗経典はアーガマから作られたことを示唆している。もう少し正確にいうならば、大乗経典はアーガマの質的変化によって生まれたものであったのだ。質的変化をもたらしたものは、ブッダへの回帰、ブッダへの信仰的肉薄に他ならない。 あまり走りすぎると、また読者からお叱りを受けるので、大乗興起に戻ろう。 大乗興起の運動が、僧院の中で生まれたことは、大乗派の人々も長老派と同じ戒律のもとに生活していたこと、大乗派の人々のアーガマに対する深い理解と教養、過激なまでの二乗弾呵、長老派批判を考えれば理解ができる。 では、大乗経典はどこで編纂されたのか。前回のレターで僧院を出た大乗派が最初に拠ったのが山林であると述べた。初期の大乗経典に「仏説護国尊者所問大乗経」があるが、ここには、繰り返し山林修行の正当性を訴えている。 たとえば、長老派を批判して次のように述べている。「一には戒律を破犯し、二には山野に住まずして而も寂静に趣かず」(T12-p0003c) そして自らを「山野の寂静の処に住持す」(T12-p0003c)、「深山に常住して畏るる所無し」(T12-p0003c)等と自負している。 ここでは、いつしか立派な僧院の建物中で生活するようになって、ブッダの時代のように林の中や樹下で修行していた頃の精神を忘れていると批判しているのである。これは明らかにブッダへの回帰運動であろう。 また、この経典を読んでいて気がついたのであるが、この経が説かれた場所として設定されているのは霊鷲山となっている。なんと「法華経」と同じである。いや、初期の大乗経典は押しなべて霊鷲山に設定されているように思われる。主なことろを挙げてみよう。 般若部では、まず「大品般若経」「仁王般若経」がある。本縁部では「大方便仏報恩経」「悲華経」。宝積部では「大宝積経」「仏説摩訶衍宝厳経」「無量寿経」「観無量寿仏経」「阿シュク仏国経」など。 ここに来て、「法華経」がなぜ霊鷲山に設定されているのかという謎が一挙に解けて来るように思われる。もちろん、実在の王舎城郊外にある霊鷲山で説かれたのではない。 「法華経」など大乗経典が説かれた場所として霊鷲山に設定されているのは、霊鷲山がブッダ有縁の山林であるからであろう。アーガマには霊鷲山の名が頻出している。つまり「法華経」などの初期大乗経典が編纂されたのは、まさしく大乗派の人々が僧院を離脱して拠ったその山林の中であったことを雄弁に語っているのである。 これで長年の謎が解けた。 大乗経典は、まさにアーガマの昇華であり、そういう意味で仏説として尊重されて来たのである。 ----☆語義☆---------------------------------------------------------- イデオロギー: 歴史的に、また社会的に制約された考え方。思想傾向。 --------------------------------------------------------------☆☆---- _/_/^/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/~/_/_/ (ー_ー).。o○ からぐら文庫 : http://www.ginpa.com/karagura/ 魯ひとへのメールは : https://sv21.wadax.ne.jp/~ginpa-com/cp-bin/phpformmail/ ●関連記事からぐらの風・indexへ | |