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善知識について 2008/02/18





★からぐらの風 #0048 --------------------------------------2008/02/18
----☆善知識について☆------------------------------------------------

 仏教用語の「善知識」が良き友のことであることは、比較的よく知られている。法華経などでは、そのまま「善友」と表記していることろもある。では、どんな人を良き友とするのか。天台智ギは、摩訶止観で興味深い分析をしている。
 まずは冒頭の一文。「善知識とは、これ大因縁なり、すなわち化導して仏に見ゆることを得せしむ。阿難は『知識は、得道の半ばの因縁なり』と説き、仏は『まさにしかるべからず、全因縁を具足す』とのたまえり」(T46-p043a)

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 この文の「阿難」以下の話を読んで、ピンと来る人は原始仏典を学んだことのある人だろう。あるいはベストセラーになった友岡雅弥氏の『ブッダは歩むブッダは語る』2001(第三文明社)の前書の「友の足音」のくだりで紹介されたアーナンダとブッダの掛け合いを思い出される人もおられると思う。ずばり、その話である。

 くだんの経典を増谷文雄氏の訳で紹介しよう。
             南伝 相応部経典 四五、二 半及び三 舎利弗
             漢訳 雑阿含経 二七、七二六(T02-p195b)
 かようにわたしは聞いた。
 ある時、世尊は、釈迦族のサッカラという村にあられたことがあった。その時、アーナンダ(阿難)は世尊のあられる処にいたり、世尊を拝し、世尊に白して言った。
 「大徳よ、私どもが善き友、善き仲間を有するということは、これは、聖なる修行のすでになかばを成就せるにひとしいと思うが、いかがであろうか。」
 かく問われて、世尊は答えて言った。
 「アーナンダよ、そうではない。そのような考え方をしてはならぬ。アーナンダよ、善き友、善き仲間を有するということは、これは聖なる修行のなかばではなくして、そのすべてであるのである。
    (増谷文雄訳『阿含経典による仏教の根本経典』1993大蔵出版 p149)

 これと対応する漢訳の雑阿含経の話はもっとまだるっこしい表現になっており、天台が引く簡潔さとほど遠い。いったい天台はどこからこの話を引いたのかと思うが、現代の大正蔵経には見つからない。

 この話の解説は、友岡氏の名文の後では気が引けるので、やめておくが、「なかば」「すべて」という言葉を、天台が「半因縁」「全因縁」と表記していることは注意されてよいことである。法華経など鳩摩羅什系の訳本では原始仏典の「縁起」という言葉が「因縁」と訳されており、両者は同義と考えてよいと思う。

 ということは、友、友だちという存在は、自分という人格形成、人生行路のうえで実に相依的、かつ縁起的存在であるということである。だから悪友と親近していたら、自分の悪い面ばかりがでてくる。ゆえにこそ良き友との交流こそ人生のすべてであるというブッダの発想になるほどと深く納得する。

 話が前後するが、冒頭に引いた天台の言葉の前半「大因縁」のくだりは、実は法華経厳王品を踏まえている。

 「善知識とは、是れ大因縁なり。所謂る化導して仏を見、阿耨多羅三藐三菩提の心を発すことを得しむ」(法-661)

 このあと「大王よ。汝は此の二子を見るや不や。」と続くのであるが、妙荘厳王と父親を仏法に導いた浄蔵・浄眼二王子、および浄徳夫人の故事は、日蓮の御書にも多く引かれているのでご存知のことと思う。

 この話も単に一家族の話ではなく、その因縁として語られるのは協力し合って修行した四人の友人の話である。けっきょく友人関係のなかでこそ法華経信仰が発現してくるということであり、それゆえに法華経は「大因縁」と位置づけたと思われる。

 なお、分析家たる天台は、この善知識の徳分として三種をあげている。「知識に三種あり、一には外護、二には同行、三には教授なり」

 まず外護とは「母が児を養うがごとく虎が子をふくむがごとく、調和、ところを得る」ことだといい、それができるのは「旧の行道の人がすなわちよくなすのみ」と、早くから人間関係を築き、苦楽を共にしてきた人のみだという。

 次に同行とは「日にそれ新たなることありて切磋琢磨し、心を同うし志を斉うして一船に乗るがごとく、たがいにあい敬重して世尊を視るがごとくす」。

 教授とは「般若(智慧)を説いて道と非道を示し、内外の方便の通塞妨障をみなよく決了し、善巧に法を説いて示教利喜し、人の心を転破す」。これが、いわゆる師の徳。

 以上、摩訶止観の訳文は、岩波文庫、関口真大校注『摩訶止観』上p233 から。

 最後に、日蓮の開目抄に云く。
 「善知識と申すは一向師にもあらず、一向弟子にもあらずある事なり」(s568.07,h546.18,p208.04)

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