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「桜梅桃李」再考 2008/01/01





★からぐらの風 #0038 --------------------------------------2008/01/01
----☆「桜梅桃李」再考☆----------------------------------------------

 新年おめでとうございます。今年もご愛読のほどお願い申し上げます。

 「年年歳歳花あい似たり 歳歳年年人同じからず」
 花は毎年毎年、同じようにきれいに咲くが、人は月ごと年ごとに変わっていく。ひとの言葉もまた同じである。人が変われば、その使われる言葉も微妙に変化していく。

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 このきわめて当然のことが、思想史を語るときに、ともすれなおざりにされる。今回はこの言葉の変化を追っかけてみよう。

 たとえば「桜梅桃李」という言葉。きれいな花の名を列挙したこの言葉を好きだという人は多い。それはそれでいいことだと思う。

 ただ、この言葉の意味するところは、歴史的に転変しており、終始一貫していたわけではない。近年では「個性の尊重」という意味で使われることが多いようだが、むしろ、そのように解釈されるようになったのは近代、市民社会が形成されて以降、「個」「個性」というものが強調されるようになってからのように思われる。

 有名な「桜梅桃李の己己の当体を改めず無作三身と開覚す」(s2702.12,h1797.03,p784.05)にしても、江戸時代では「桜梅桃李」はそのまま「士農工商」の身分を「改めず」と身分制度を正当化する論理として使われていた。今日でも、その残滓として、立場の違いや職分を正当化する意味合いで使われることも少なくない。

 さらにその典拠を追い求めると、どうやら出典は中国の禅籍に行き着くのである。隋代の鑑智に『信心銘』という著述があって、その中に「楊梅桃李」(T82-416b)という言葉がみられる。

 「桜梅桃李」の原型はこの「〈楊〉梅桃李」なのである。「楊」とはヤマモモのこと。「梅」ウメ「桃」モモ「李」スモモとモモの花シリーズで統一されている。これが禅宗とともに日本に入ってきて、やがてヤマモモが日本の「桜」と置き換えられるようになった。

 したがって日本の道元の『正法眼蔵』なども「楊梅桃李」という言葉を使っている。
 「春を画図するに、楊梅桃李を画すべからず。まさに春を画すべし。楊梅桃李を画するは、楊梅桃李を画するなり。いまだ春を画せるにあらず」(T82-220a)

 この道元の話は、比較的有名で、魯ひとなども、たしかに中学時代に美術の教師から教わった記憶がある。「春」というテーマを与えられて絵を描くとき、春の花や鯉のぼりなどの春の風物を描き込むようではダメだというのである。個々の風物ではなく、全体の雰囲気のなかに春らしさをかもし出さねばならないというのである。

 ま、ともかく、ここでは「楊梅桃李」は単なる春の風物、春を代表する花としての意味しか与えられていない。

 古典文学関係では語り物の軍記物に好んで使われているが『平家物語』では初期の『源平盛衰記』や『延慶本』から熟成した室町時代の『流布本』に到るまでもっぱら「楊梅桃李」なのが注目される。

 狂言や謡曲のたぐいももっぱら「楊梅桃李」である。

 ところが、念仏系では親鸞の『西方指南抄』では、師法然の言葉として「桜梅桃李」がみえる。
 「又云。近代の行人、観法をもちゐるにあたはす。もし仏像等を観せむは、運慶・康慶か所造にすぎじ。もし宝樹等を観せば、桜梅桃李の花菓等にすぎじ。しかるに彼仏今現在成仏等の釈を信して、一向に名号を称すべき也と云」(T83-867c)

 鎌倉末期に成立したという『法然上人絵伝』でも「桜梅桃李」の語がみえるが、上記親鸞の文とほぼ同文となっている。

 「又云、近来の行人、観法をなす事なかれ。仏像を観ずとも、運慶快慶が造りたる仏程だにも、観じあらわすべからず。極楽の荘厳を観ずとも、桜梅桃李の花果程も、観じあらわさん事かたかるべし。ただ『彼の仏今現に世に在して成仏し給えり。当に知るべし、本誓の重願虚しからざることを。衆生称念すれば、必ず往生を得』の釈を信じて、ふかく本願をたのみて一向に名号を唱うべし。名号を唱うれば、三心おのずから具足する也」(岩波文庫本、上222)

 ここで注意されることは、「桜梅桃李」は極楽世界の花々と比較されてしまっており、「桜梅桃李」本来の持つ得分はむしろ否定されてしまっている。

 これらに対して、恵心僧都源信に仮託された中古天台の文献である『三十四箇事書』では三身のうち応身に配分され、ここに「桜梅桃李」の得分は肯定的に評価され位置づけられている。

 「仏の作に非ず、修羅・天人の作に非ず。法爾自然にして、三身の法に非ざる無きが故に、我等念々の妄想は報身般若の全体、四儀遷移は応身随類の体、苦道重担は法身万徳の体なり。正報既にかくの如し。依報またしかなり。桜梅桃李等の或いは曲がり、或いは直き、様々無尽なるは、応身の体なり」(日本思想体系/天台本覚論/p173)

 (『御義口伝』の成立については、もっと厳密な考察が必要となろうが、法然・道元・親鸞よりは、はるかに『三十四箇事書』等が思想的な親近性をもつことは否定できない。今後の本格的な研究に期待したい。)

 ともあれ、本論考の目的はそこにはない。「桜梅桃李」の問題であった。言葉の出典および伝来の問題はこれくらいにして、現代の私たちが使っている「桜梅桃李」の語について検証することにしよう。

 いや、その営為がなければ、言葉は自分のものとはならないし、思想とならない。厳しいようだが、以下の考察に進む。

 私たちは「桜梅桃李」を個性の尊重の意味で使っているが、はっきり言えば「桜梅桃李」では個性の尊重とはならないということである。じっさい、この括りでは、春に咲く同じバラ科の五弁の花だけが挙げられている。これでは同類を集めたに過ぎなくなってしまう。

 花は、春の花だけではない。バラの仲間だけではない。陸に咲く花だけでもない。水中に咲く花、花の咲かない花、それこそ色とりどりの花がある。

 私たちに、そういう自分と異質なものを受け容れる度量があるのか。マイナーなものの中に美ときらめきを見出す眼力があるのか。

 いな、現実に、自分と異質なもの、マイナーなものをどれだけ受け容れているのかということである。

 そういう厳しさがなければ、いつしか「桜梅桃李」の論理は、言葉がきれいなだけに、自己正当化に転落する可能性を持っている。それでは江戸時代の「士農工商」の正当化と質的には変わらないといえよう。また異質なものを排除する論理へと転落する危険性をも孕んでいることも自覚しなければならないだろう。

 そこをつきぬけてこそ、思想は未来に向けて飛躍するのだと思う。

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