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月水御書について 2007/12/08





★からぐらの風 #0035 --------------------------------------2007/12/08
----☆月水御書について☆----------------------------------------------

 「月水御書」のもつ文献学上の留意点というのは、この御書は録内御書に入れられているが、そこでは後半に現「題目弥陀名号勝劣事」が一体接続されている点である。近代になって、別御書として前半を「月水御書」、後半を「題目弥陀名号勝劣事」と分離された。このあたりの事情は興風談所の『御書システム』に詳しく解説されている。分離は合理的なものだし、テキストにも特に不審な点はない。ただ、魯ひとは別な側面でこのテキストを興味深くながめている。

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 前号でお伝えしたように、「月水御書」は、現代では、女性の月経について、日蓮の先進的な認識を伝えるものと受け取られている。しかし、古来の伝統的な理解の仕方はそうではない。むしろ逆な捉えかたがなされてきたのである。

 そこでは、「月経を忌むべきでない」としたのは日蓮の本意ではなく、大学三郎の妻女の心情に配慮して表現したもので、本意は「日本は神国だから血を忌むから月経も忌む」にあるとする。

 最古の御書講義録として編纂された日健の『御書抄』(通称健抄)には、次のようにある。

 「是れは大学殿の室の方への御抄なれば文章をも取りつくろうて遊ばすなり」
 「日本は神国なれば血をいみ月水なんどをいむなり。其の様なる道をば此の国の風俗なる間、乱るべからざるなり」

 この見解は、その後も受け継がれ、江戸時代から近代まで日蓮門下のエンサイクロペディアになった日講の『録内啓蒙』でも、そのまま踏襲されている。

 このように御書の解釈というものは、時代によって変わることを私たちは知っておく必要があろう。ゆえに私たちは何が日蓮の直説であり、何が解釈に属することなのかをきちっと仕分ける必要があると思われる。そして解釈に属することならば、その解釈が妥当なのか、権威学匠に妥協せず、それを探求していく努力が必要であると思われる。

 その上で、日蓮の月水認識が本当に同時代に超越していたのか、それとも、昔の人がそのように理解したように、単にレトリック(修辞)にすぎないのか、そこを問い直しておく必要があるだろう。

 そのためには、御書を科段(段落)にわけ、文の流れを把握しながら読んでいく必要がある。試みに魯ひとが科段に分けたテキストを、別ファイルで提示したので参照を乞う。

http://www.ginpa.com/karagura/letter/tsukimizu.html

 以下は、論理の検証であり、論理に興味を持たない読者は読まなくてもよいと思う。

 「月水御書」は大学三郎の妻からの質問三点に回答したものである。その三点は、(1)日常の勤行仏事について、(2)月経時の勤行仏事について、(3)題目の唱え方、である。二番目の月経時の勤行については書簡の終わりの方、テキストでは13段から15段までで述べている。

 まず、13段で仏教では月経を不浄とはみなさないという基本を明確にしている。
14段では、日本の風土には「血を忌む」という風習があるので、仏教の「随方毘尼」を慣用して乗り切るよう教えている。これは枝葉の問題で、社会との無用な摩擦を避けて、信心をまっとうするための智慧を教えたものである。

 また、「毘尼」は「戒」の意であり、ものごとを規制する意味があり、その規制を条件付で免ずるということである。ゆえに、「随方毘尼」を応用すれば「月経は不浄でない」という仏教の立場を「血を忌む」という日本地方の習俗に合わせることを特別に許可するという論理になる。

 この論理からいえば、「月経は不浄でない=忌むべきでない」が日蓮の本意であり、風俗に合わせるが特殊事情ということになる。

 このような「随方毘尼」の考え方は、戒律の問題というより、弟子たちが修行や信仰を全うするための智慧として大切なことであり、決して妥協とはいえない。この面でも日蓮は過激な指導者ではなく、社会の中に根を下ろした教師であったことがわかる。

 さらに15段で「よみぬべくば経をもよみ、及び南無妙法蓮華経とも唱へさせ給ひ候べし」とあるように、家中で他の人といさかいを起こさない状況があるならば、御経や題目を唱えなさいと述べており、「月経は不浄でない=忌むべきでない」が日蓮の本意であることは明らかである。

 結文の「又月水なんどは申すに及び候はず」は、月経など仏法上問題にするまでもないとしているのである。この言葉に日蓮の本意が集約されていよう。

 以上、日蓮の思想の宣揚のためには、このような検証も必要なのである。

----☆参考文献☆------------------------------------------------------

『御書システム』…… http://www5f.biglobe.ne.jp/~goshosys/

『御書抄』…… 日蓮宗全書の一、1913年、須原屋書店 1062頁
        古書市場には須原屋書店版のほか、本満寺版が流通している。

『録内啓蒙』…… 日蓮宗全書の一、1975年、本満寺版 下381頁
         本満寺版は木版本の縮刷、上質な虫メガネが必要。
         須原屋書店版は入手困難。
         他に大石寺による復刻本が流通している。ただし入手困難。

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からぐら文庫 : http://www.ginpa.com/karagura/
魯ひとへのメールは :
https://sv21.wadax.ne.jp/~ginpa-com/cp-bin/phpformmail/


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