日蓮とジェンダー(その一) 2007/12/04★からぐらの風 #0032 --------------------------------------2007/12/04 ----☆日蓮とジェンダー(その一)☆------------------------------------ 「女子は門をひらく、男子は家をつぐ」と。日蓮とジェンダー(性差)の問題を考える上で、上野殿御返事(日若御前誕生事)のこの文は、多くの議論を生むものと思われる。ただ、言葉の断片に直接反応するより、日蓮が語った文脈とその背景の上で考察すべきだろう。 --------------------------------------------------------------☆☆---- この上野殿御返事(日若御前誕生事)は日蓮の真蹟こそ残らないものの、日興の写本が現存しており、日蓮の思想を伝えるものとして一級の史料となろう。写本によると系年は弘安三年八月二十六日。 全文といってもごく短編なので、ここに全文を挙げることにする。 女子は門をひらく、男子は家をつぐ。日本国を知つても子なくば誰にかつがすべき。財を大千にみてても子なくば誰にかゆづるべき。されば外典三千余巻には子ある人を長者といふ。内典五千余巻には子なき人を貧人といふ。女子一人、男子一人、たとへば天には日月のごとく、地には東西にかたどれり。鳥の二つのはね、車の二つのわなり。さればこの男子をば日若御前と申させ給へ。くはしくは又又申すべし。 八月二十六日 日蓮 花押 上野殿御返事 (s1791,h1494,p1566) ここで日蓮がなぜ男女において違う表現をしたかということを論ずる前に、当時の時代状況と上野殿(南条時光)をめぐる個別状況をみておくことにしよう。 ここでは「家をつぐ」と遺産相続の問題がテーマになっているが、当時の鎌倉時代は、後の江戸時代のように女性の権利が大きく抑圧されておらず、女性の遺産相続が認められていたこと、男女別姓で夫とは別枠で夫人の固有財産が認められていたことなどが確認されている。また女性の地頭がいたことも指摘されている。 とはいえ、これは当時の女性が男性と対等であったことを意味しない。古代社会から引き続いて、なお女性が大きく抑圧され、権利において差別されていたことを見落としてはならない。 じつは日蓮の南条家宛て書簡および大石寺などに伝来されている当時の南条家文書は、鎌倉時代の家族制度を知る上でもかっこうの一級史料なのである。さらなる研究が待たれるところである。 ともあれ、現在までの研究成果から南条家の概要をさぐってみよう。 南条家は伊豆を本貫の地とし北条家と同族であり、日蓮の時代には北条得宗家の御内人として北条政権を内側から支えていた一角であった。南条時光の父兵衛七郎はその南条家の分家として北条得宗家の所領であった富士方面に地頭として出向していたものである。 兵衛七郎は弘長から文永元年頃に鎌倉出仕の折にか日蓮と出会い、法華経信心を持つことになる。しかし、文永二年には病を得て若死にしてしまう。富士上野の所領には夫人と幼い子供たちが残された。 さて、ここで深刻な相続の問題が起こったものと思われる。当時の家は現代のような核家族ではない。多くの家人・家臣がぶら下がっていた。兵衛七郎が伊豆から分家してきた時には、一族および家臣の一部も分与され富士へ付き随ったものと思われる。日蓮の書簡にはそれと思しき人の名や影が散見されるし、日興の弟子本尊目録にもみられる。それらの人々は家督を握った総領を中心に自らの所領を「一所懸命の地」として守っていたのである。 そういう中で家督相続が行われるのである。この時、跡取りが未だ幼弱であれば、一族・家臣の統率、農事の進行、年貢の徴収、幕府の公事の分担といった総領としての任務が遂行できないことになる。 といって、一族の者が総領職を代行すれば、跡取りが成人の後に総領職が返還される保障はない。当時は江戸時代のように長子相続とそれを支えるシステムが確立しておらず、兄に取って代わって弟が家督を継ぐ例は少なくない。それが社会が不安定な時代にあって一族の所領を守る智慧であった。 それだけに総領の権限は絶大であり、代行といえども一度総領の権限を握った者が先代の子が成人したからといって簡単には家督を返還するとは思われないのである。たとえば北条時頼は兄経時から譲られた家督を経時の子が成人しても経時の子に返還することはなく、経時の子を僧門に追いやり、自分の子への相続に腐心したのであった。 ただ、この時の南条家の場合、結果として兵衛七郎の子次郎時光に家督が継承されたのであるが、なぜ、そういうことが可能だっかかを考えてみると、ここは兵衛七郎の夫人、時光の母松野氏の存在を考えないわけにはいかない。おそらく時光の成人まで家督および地頭職を代行したのは、この母松野氏ではないかと思われる。 母松野氏が凡庸ではなかったことは、周りが念仏信心一色であった中を、夫の信仰であった法華経信心を守り通したことからも伺えるが、自分の里方の松野六郎左衛門一族をも法華経信心に変えてしまったことからもはっきりしている。母松野氏の実弟が六老僧のひとりとなった日持である。 また、時光は次郎であって兵衛七郎には長男太郎がいたはずであるが、太郎の行実がはっきりしていない。堀日亨師は、太郎は日蓮の弟子行忍としているが、おそらく側室の子か異腹の子と思われる。日蓮は母松野氏の心を慮ってか、五郎のことを語っても、太郎のことを話題にすることはなかった。このあたりにも母松野氏のしたたかさがみてとれる。 しかし、母松野氏が凡庸でないといっても、その力を発揮できたのは子どもが男の子であったからである。源頼家・実朝の母北条政子、足利義尚の母日野富子も同様の例である。もし、松野氏の子どもが女の子だけだったならば、逆に夫の死後、南条家を出なければならなかったであろう。 当時、妻が夫と別姓なのは、現代論じられている男女同権としての男女別姓論とは意味合いが違うと思われる。つまり当時の女性は嫁いでもなお、婚家の一族からは他家の者とみなされていたということであろう。やはり厚い差別の壁があったのである。まして跡継ぎとしての男子を産めなければ、家中でその地位はきわめて不安定なものとなる。まして後ろ盾としての夫に死なれれば、その地位は無いに等しい。かくしてその家を出されるはめになるのである。 この夫の死後、婚家を出された例は、南条家とともに富士方面の拠点として活躍した高橋六郎兵衛の夫人であった持妙尼(窪尼)であろう。この人の呼び名は高橋殿女房、妙心尼、持妙尼、窪尼と転変したのは、その立場の変化を反映している。 池田令道師の研究によると高橋六郎兵衛の夫人は、夫が病に倒れると落飾して妙心尼と名乗り夫の看病に専心した。しかし、夫が亡くなると男の子どもがいなかったので娘を連れて高橋家を出て、里方の西山の河合入道のもとに帰った。この時、日蓮から持妙尼の法号をあらたに授与された。その後、河合入道から窪の地に財産を分与されそこに住むようになり、日蓮から窪尼のニックネームで呼ばれるようになった。と以上のようである。(参考文献→文末) 家を出されるのは、その家の総領が変わるからである。そして新しい総領にとっては先代の正妻といえども、自分にとっては他人に過ぎず、その人の娘の相続分を認めることは財産なり所領を他家に取られるとみなされたものと思われる。 当時女性は、相続、財産分与が認められていたといっても、実父が生前に分与したか、女性の実の兄弟が承認した場合に限られるものと思われる。このようにみてみると中世では経済的側面などに女性の様々な活躍がみられるものの古代中世近世から近代に至るまでおしなべて女性の地位は不安定であったといえよう。 こうした中で冒頭に示した「女子は門をひらく、男子は家をつぐ」という日蓮の言葉に戻ると、日蓮は決して男女の違いを固定したものとして述べたのではなく、「跡継ぎにならない」「どうせ他家に取られるものだ」として中世社会のなかで軽視されがちな女性の価値を「門をひらく」という別角度から照らし出すことによって再認識することを教えたものと思われる。 まして、この文は、男の子の誕生祝いの文面であってみれば、そこに合わせて女の子の価値を語っている意図は明らかであろう。日蓮は女の子は家を継げないと語ったのではなく、この文面には、そのような固定観念にしばられた中世人(いな、現代人を含めて)の心を解きほぐし豊かに耕していく智慧を示したものと思われてならない。 「女子一人、男子一人、たとへば天には日月のごとく、地には東西にかたどれり。鳥の二つのはね、車の二つのわなり」 日蓮に性差を固定する意思がないこと、差別なき慈愛の眼で子どもたち、男女を見ていることは明らかであろう。 なお、後日談であるが、その後、南条時光の家は非常に栄え、子供も九男四女を数えるという。 (この項つづく) ----☆参考資料☆------------------------------------------------------ 堀日亨『南条時光全伝』1931年 杉田屋出版部 小野眞一『南条時光』1993年 富士史書刊行会 池田令道「大石寺蔵日興上人書写御書の考察」2000年『興風13号』所載 山中講一郎『日蓮伝再考(一)』2004年 平安出版p45 --------------------------------------------------------------☆☆---- _/_/^/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/~/_/_/ (ー_ー).。o○ からぐら文庫 : http://www.ginpa.com/karagura/ 魯ひとへのメールは : https://sv21.wadax.ne.jp/~ginpa-com/cp-bin/phpformmail/ ●関連記事からぐらの風・indexへ | |