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高木豊先生 2007/08/17





★からぐらの風 #0031 --------------------------------------2007/08/17
----☆高木豊先生☆----------------------------------------------------

 『日蓮自伝考』も発刊から一年以上経過し、ようやく自分でも客観的に見直せるようになった。発刊直後に、一読者として通読するわけだが、そのころは、どちらかというと、はやくこの本から離れたいという意識の方が強かった。それだけ長期にわたってどっぷり浸っていたわけだからやむをえない。その後、この一年間、いろいろな方から懇切なご指摘をいただいた。そして多くのことを気づかせていただいた。ありがたく、改めて感謝申し上げたいと思う。(訂正追加2007/12/03)

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 気づきの最たるものは、なんといっても高木豊氏の学恩というか、影響の大きさである。私は『日蓮伝再考』『日蓮自伝考』と、高木豊氏のご見解を取り上げて批判することが多かったので、読者の中には、私が高木豊氏を論敵ととらえているかに思われた方もいると思うが、それはやはり誤解である。

 私が高木豊氏を批判したのは、目の前にそびえる巨大な山であり、立ちはだかる厚い壁であったからだ。私にとってこの山はなんとしても登攀しなければならない目標であったし、乗り越えねばならない壁であった。ゆえにこそ、高木豊氏の存在がなければ、私の著作はなかったといえるし、仮にあったとしても内容的にほんとうに貧しいものしか書けなかったと思う。

 私が、高木豊氏の著作を初めて読んだのは二十代のおわり頃で『日蓮とその門弟』(1965年、弘文堂刊)であった。ちょうど宗学的な論文だけでは飽き足らなくなったころであったが、まだまだ「身延の学者」(当時まだ、このような観念を引っ張っていた)の本を読むことには抵抗があった。

 そういうなかで高木豊氏は、堀日亨師の学縁に連なった人で、富士教学にも造詣が深いということである種の安心感があったのである。その後、特に意識はしなかったのであるが、私の思索の節々に現れたのが高木豊氏の著作であった。

 とくに自分で課題をもって調べものをするようになると、その先には必ず高木豊氏がいた。まさに行けども行けどもその先に高木豊氏がいたのである。これは私の三冊目に予定している『日蓮弟子考』にまで及んでいる。たとえば、日蓮の師弟観を調べるなかで日蓮・日興の関係だけでは不十分で、最澄・日蓮の関係を調べる必要を感じて調べだした時に、高木豊氏の『平安時代法華仏教史研究』(1973年、平楽寺書店刊)にぶつかってしまったのである。

 書物の名はかねて知ってはいたが、自分が課題を追っかけるなかで、あらためて出会うとその衝撃はまったく違うものがある。ともあれ、こうした先学の苦労の結晶があるからこそ、私たち末学の研鑽がスムーズに進むことを感謝したいと思う。

 私の批判が学問的にどれほど的を射ているかは、今にして汗顔の至りであるが、無意味なこととは思っていない。私は学問でのご恩は学問でしか返せないと思っている。直接のお弟子ならともかく、野にいる我が身としては、学問的批判という形でしか、ご恩に応えることができなかったことをご理解願いたい。

 およそ一巻の書物において学問的な面で誤りがないものはない。ゆえに誤りを見つけてそれを正すことが後進、後学の務めだと思う。私もすでに二冊の書を世に問うた。私もまた、読者諸氏の俎上に載せられ、その誤りは正されねばならない。いまさらじたばたしても始まらない。もって瞑目すべきであろう。

 特に私の著作に先鋭な角度から、最初に批判を寄せてくれたのがLibra氏である。氏よりの指摘は幾つかあるが、今は自ら納得した待遇中止法の誤解について、感謝してここに訂正しておきたいと思う。

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■p102.16: 是一非諸の論理に関して「高木豊の造語であろうか」としたこと。これは高木豊氏の造語ではなく、日蓮の『行敏訴状御会通』からとった言葉であった。不明をお詫びする。
 「念阿上人等の云く一を是とし諸を非とするは謗法なり云云。(s497.14,h473.02,p180.09)
 ただし、これは日蓮の言葉ではなく、そこに引用された良観方の主張である。であればなおのこと、それをもって日蓮の行動と決め付けて日蓮を批判するのは穏当を欠くのではないかと思う。

 さらに大元の語は天台の『摩訶止観』にあることを知った。「此を執して彼を疑い、一を是として諸を非とす」(T46-p04a)

■p181.09: 依智滞在御書に関して「やはり高木豊の『依智滞在御書』の読解は粗雑に過ぎると言わねばならない。そればかりではなく、高木豊の「依智滞在御書」読解は文法を無視した明らかな誤読と言わねばならない」としたこと。

 依智滞在御書の読解に関する高木氏批判は、それ以前の「高木説に矛盾するものは枚挙にいとまがない」までで十分で事足りている。

 にもかかわらず、必要のない「やはり高木豊の…」以下の文章を付加したことによって、自ら墓穴を掘っている。そこで展開した文法論は正確でないし、筆の勢いで文法と論理を混同している。この部分においては、粗雑なのはむしろ著者の方であった

 したがって、次ページ p182.08 の「今は本間の依智にいるという意味になる」までを削除してください。

 では、どこがどのように間違っているのかというと、対偶中止法における対偶否定の勘違いであった。正確に文法解釈すると次のようになろうか。

 (対偶中止法の解説文を文末に添える)

 「この文を文法的に解析すると次のようになる。
「十三日丑の時にかまくらをいでて/佐土の国へながされ候/が/たうじはほんまのえちと申すところに/(後略)」

 この一文中に動詞が「いで」「ながされ候」と二回連続しているが、「いで」は動詞連用形で打ち切られ、「て」という接続助詞で次の文節につながれている。次の「ながされ」は補助動詞の「候」がついて丁寧語として結ばれている。これは典型的な対偶中止法(動詞の連用形の働きによる並列表記と中止の構文)となっている。つまり、「いで」と「ながされ」は対等の関係でどちらが主で、どちらが従という関係にはない。文法用語の「対偶」関係である。

 ゆえに、前者「いで」は後者「ながされ」と同格になって、解釈上「いだされ」の意味になる。

 したがって文章の意味は
「十三日丑の時に鎌倉を出だされて、佐渡の国へ流されることになったが、いまは、途中の依智というところにいる」ということになる。

 ところが「ながされ」の後に付く逆接の「が」を同文節内に取り込んで、これを「ながされ」の否定と勘違いしてしまったのである。逆接の「が」には否定の意味はない。したがって、この構文は対偶中止法であっても対偶否定とはならない。

 となれば、高木豊氏の所説と何の関係もなくなり、そもそもこのような文法論議はまったく不要ということになる。にもかかわらず、筆の勢いでさらに「結論が否定ならば、その前の仮定は全て否定される」などと論理矛盾までおこしているのだからしようがない。

 相撲で言うならば、相手を土俵の外に押し出しておきながら、土俵でなお一人相撲をして転んで脳震盪を起こしたような形になっている。笑うに笑えない。

■p324.16: 対偶中止法が関する誤りをもう一箇所犯している。「この『光日房御書』の文は文法的には先にも紹介した対偶否定になっている」としたところ。

 ここも対偶中止法であっても対偶否定とはならない。

 ここの正しい解釈は、
「十四日はかのつにとどまり」の文節は動詞連用形で打ち切られ、「同十五日に越後の寺どまりのつに・つくべき」の文節と対偶(対等)関係にあり、前節「どどまり」が後節「つくべき」と同格になり、解釈の上で「とどまるべき」となる。したがって、十四日、十五日の予定が変更になり、十四日のうちに船出してしまったことを意味している。

 それを「べきがと否定」云云としたことが余計なことであった。ここは、否定法までもっていかなくとも、中止法で十分意味が通じている。

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 以上、まだまだ不十分だとは思いますが、謹んで訂正申し上げます。なお、校正ミスも散見されますが、ご容赦ください。

 なお、高木豊先生は、1999年5月10日にご逝去なされたということです。私のような者が「先生」とお呼びすることが許されるかどうかわかりませんが、ただの一度でいいから先生の授業を拝聴したかったと思っています。ご冥福をお祈りします。

----☆対偶中止法☆----------------------------------------------------

 「対偶中止法」「対偶否定法」の構文は、高等学校の古文では習わず、ほとんどの文法書にはまったく触れられていない。しかし、古典の『源氏物語』や『徒然草』の読解には必須の知識となっている。(対偶否定は対偶中止法に含まれる概念である)

 このような語法は現代語ではあまり意識されないが、古代および中世では一般的な語法であった。いま日蓮とほぼ同時代、やや下る吉田兼好の『徒然草』から例文を引いてみよう。

 「かげろふの夕べを待ち、夏の蝉の春秋を知らぬもあるぞかし」徒然草07段

 「かげろふの夕べを待ち」を単独に解釈すれば、「かげろうは夕べを待っている」となるが、あとの「夏の蝉の春秋を知らぬ」で否定文になっているから、その否定は前のかげろうにも及び、「かげろうは夕べを待たずに死に、夏の蝉は秋を知らずに死す」という意味になる。これが対偶否定の構文である。

 「飛ぶ鳥は翼を切り、籠にいれられて」徒然草121段

 「飛ぶ鳥は翼を切り」を単独解釈すれば、「鳥が翼を切った」と読めるが、後の文「籠にいれられて」に「られて」とあるから、対等関係で前の文も「鳥が翼を切られた」の意味になる。一般的な対偶中止法の構文。

 参考文献
 中村幸弘『先生のための古典文法Q&A100』2005年、右文書院刊
 中村幸弘・碁石雅利『古典語の構文』2005年、おうふう刊

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●御書にみる文例☆ 2007/12/03☆


     資料として、御書にみる対偶中止法と思われる文例を挙げて、ご批正を乞う。

    ○真言諸宗違目 p139
    呵責し/駈遣し/挙処せずんば、
                  ^^^^^^^^
      → 是の人は仏法中の怨なり
    ○光日房御書 p928
    十四日はかのつにとどまり/
    同十五日に越後の寺どまりのつに・つくべきが、
                          ^^^^^^^^
      → ふつかぢをすぎて・かしはざきにつき
    ○土木殿御返事(依智滞在御書) p951
    十三日丑の時にかまくらをいでて/佐土の国へながされ候が、
                                   ^^^^^
      → ほんまのえちと申すところに

    ○四条金吾殿御返事(所領書) p1183
    兄弟にもすてられ/同れいにも・あだまれ/きうだちにもそばめられ/
    日本国の人にも・にくまれ給いつれども、
               ^^^^^^^^^^^^
      → 梵天・帝釈もすてかねさせ給へる

    ○松野殿御返事(十四誹謗抄) p1386
    仏法を学し/謗法の者を責めずして、
                    ^^^^^^^
      → 法師の皮を著たる畜生なり

    ○日興遺誡置文 p1618
    論議講説等を好み/自余を交ゆべからざる事。
                     ^^^^^^^^^^^^
      → 日興が末流に有るべからず



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