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『沙石集』について 2007/08/04





★からぐらの風 #0026 --------------------------------------2007/08/04

----☆『沙石集』について☆------------------------------------------------

 次作『日蓮弟子考』の執筆も少しずつ進んでいる。ここでちょっとしたツールとして使っているのが無住の『沙石集』である。この『沙石集』を一口に紹介すれば、中世の説話集であるが、それは単に説話集に留まらず、顕密時代といわれる日蓮と同時代の知識人から、一般の庶民いたるまでの人々のものの考え方を知ることができる貴重な文献である。ボリュームも160篇を越える膨大な説話が集められている。

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 顕密時代とは、いうならば密教的発想が社会の隅々まで浸透している時代である。ゆえに日蓮は、密教批判を展開するに当たっては、じつに慎重を期さなければならなかった。またその慎重さゆえに初期の日蓮は真言に与同的であったと誤解されることにもなっている。この『沙石集』を読んでゆくと、その顕密時代の具体的な社会の様相が浮かび上がってくる。

 著者の無住の思想を考える時、無視できないのは、西大寺の思円叡尊(1201〜1290)と聖一国師弁円(1202〜80 円爾ともいう)の存在である。無住はこの二人に大きな影響を受けているのである。叡尊は朝廷から興正菩薩の号を受けた僧侶で、日蓮と対立した極楽寺良観の師匠でもある。また聖一は、日本で最初の国師号を受けた僧侶で、日蓮が良観と並べて僣聖増上慢と指摘した人物である。

 開目抄「華洛には聖一等、鎌倉には良観等ににたり。人をあだむことなかれ。眼あらば経文に我が身をあわせよ」(s596.11,h568.09,p228.10)

 真言諸宗違目「今道隆が一党・良観が一党・聖一が一党・日本国の一切の四衆等は是の経文に当たるなり」(s639.09,h600.17,p140.11)

 良観が律宗でありながら、密教を取り入れたのと、好一対で、聖一は禅の臨済宗であるが、兼修で、密教を大きく取り入れている。

 ゆえに、良観や聖一と無住の思想は同根といえるし、極論すれば『沙石集』の思想は良観や聖一の思想そのものなのである。

 極楽寺良観というと、日蓮の信徒には悪人悪人したとんでもない奴というイメージが強いと思う。ここで、それを否定するつもりはないが、良観の本質を捉まえようと考えるなら、イメージを先行させるとかえって捉え損なうと思われる。

 何よりも、当時にあっては、良観は圧倒的に知識人から庶民にいたるまで多くの支持と尊敬の念を集めていたのである。じっさい良観には、そのような支持と尊敬を勝ち取るだけの、その時代における普遍的な常識を持ち合わせていたといえるのである。このことを理解しないと、日蓮が良観との対決にどれほど苦労し、慎重に対処しなければならなかったかが分からないと思う。

 むしろ、日蓮の滅後、弟子たちが単純に良観を悪人として矮小化し、一刀両断し、その思想を緻密に検証しようとしなかったために、逆に良観のもつ密教思想の巧妙さに取り込まれるということが起ってしまったといえるのである。聖一にいたっては、日蓮が僣聖増上慢と位置づけたにも関わらず、日蓮門下の手で、ほとんど研究らしい研究もなされていない。

 鎌倉幕府滅亡後、日蓮門下は、各門流とも後醍醐天皇への上奏を競うことになるが、後醍醐天皇の側近にいたのは、良観と同じ西大寺派の密教僧文観であった。ところが日蓮門下は誰一人この文観の存在を問題にせず、その文観と対決しようとしなかった。だだ、後醍醐天皇が戦略的に乱発したお墨付き、詔勅をもらって狂喜していたのである。そこには、鎌倉幕府の懐柔策を蹴って座を立った日蓮の毅然さは微塵もみられない。

 日蓮滅後、五老僧の門流のみならず、日興の富士門徒も密教思想に大きく侵害されていく。化儀の絶対化、口伝の重用、唯受一人の血脈思想などまさに密教そのものである。私たちは、日蓮の思想を誤まり無く捉えようと思うなら、日蓮が密教の何を見すえていたのか、何に苦労していたのかを捉まえねばならないと思う。

 この視点は歴史的にも無視できない大きな意味を持つ。祖師が密教と戦ったにも関わらず、弟子たちが密教化した例は、親鸞の浄土真宗や道元の曹洞宗にも見られる。このことを、歴史学者の大隅和雄氏が『中世 歴史と文学のあいだ』(後述)で次のように述べている。

 「鎌倉時代の終わり近くから、かつて密教とはげしく対立したはずの新仏教諸派でさえもが、密教的色彩を濃厚にしていったのである。浄土真宗が覚如あたりで密教的性格を顕著にとりいれたこと、道元のもとでさえ、曹洞宗の宗勢が拡大した蔭には、道元没後の永平寺が密教的色彩を帯びるにいたったという事実を見逃すことはできない。日蓮の教理についてはいうまでもないことであろう。」同148頁

 「一刀両断」というやり方を、痛快と思っている人が多いが、思想という物を正しく見極める上では、決して誉められたことではない。そこには深い分析がないから、本当の問題を摘出しておらず、臭いものに蓋をした形になり、問題を誤魔化している場合がほとんどである。だから、長い眼で見たときには、逆に食われてしまうのである。

 後醍醐天皇とその側近文観については網野善彦氏が『王権の危機』という論文で鋭い指摘をしている。(『週間朝日百科/日本の歴史/中世II/後醍醐と尊氏』1986 所収)そう長くはないので全文を読んで頂きたいが、著作権侵害にならないよう、その一分の紹介にとどめる。

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 六波羅評定衆から河内の「悪党」的武士団まで及ぶ文観の人脈の広さは、後醍醐にとって心強い限りであったに相違ない。また文観を通して後醍醐に心をよせたとみられる西大寺流の律僧や律宗寺院の果たした役割も小さいものではなかった。現に元亨の「無礼講」には律僧智暁上人の姿があり、元弘元年(一三三一)の第二次討幕戦争の敗北後、尊雲(護良)はさきの般若寺にしばらく身を寄せ、忍んでいたといわれているのである。

 当然、文観は「非人」の集団とも関わりを持っていたであろう。また勧進上人として、さまざまな「職人」、職人的武士団とも関係が深かったに相違ない。これらの人々こそ、建武新政期「文観僧正の手の者と号して、党を建て、腎を張」り、「ばさら」な風俗を「洛中に充満」させた原動力であったと思われる。

 こうした文観の寄与に対し、後醍醐が新政下の東寺一長者、東寺大勧進の地位をもって酬い、高野山をはじめとする仏教界の囂々たる非難の中でも、その立場を守り抜いたのは当然であった。そして文観の寄与は、単に世俗的な武力の組織者というだけにとどまらなかったのである。

 冒頭にあげた後醍醐の自ら修した幕府調伏の祈祷は、「悪人悪行速疾退散」の効験著しいといわれる聖天供――「大聖歓喜天浴油供」であったという。治病、除難、夫婦和合、子宝などの功徳があるとされるこの修法を、後醍醐は、のちに「立川流」として激しく非難された文観によって教えられたのであろう。後醍醐は自らそれを修し、「悪人」――幕府を調伏退散させることによって、「王権」の威力を体得、発現しようとしたのではなかったか。

 とすると、文観をその重要な媒介者としつつ、危機に頻した天皇の権威と権力――「王権」をよみがえらせる力を、後醍醐は「非人」にまでいたる社会と、人間そのものの深奥から汲み取ろうと試みたことになる。それは天皇史上、全く例のない異常さであり、成功しようと失敗しようと、天皇のあり方を大きく変質させざるを得ない試みであった。

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----☆テキスト・研究書☆----------------------------------------------

 『沙石集』のテキストとしては、現在、一番入手し易い本は、
 小学館の『日本古典文学全集』本で、現在も刊行中のものである。またこれは、天註、本文、現代文の三段構成で非常に読みやすい。

 他に、岩波書店から岩波文庫『沙石集』本と『日本古典文学大系』本がが出ているが、ともに絶版になっているが、丹念に古書店を探せば入手できるだろう。

 注意すべきは、ここで紹介した三本とも底本が異なり、内容に少しずつ出入りがあることである。本格的な研究のためには三本を揃えたほうがよいだろう。

 魯ひとは『日本古典文学大系』本をデジタルテキストにしてデータベースを作ったが、量的には、この本がもっとも重厚である。

 その他、『沙石集』を解説しつつ、この時代を斬新な角度から論じた好著として、
 大隅和雄『信心の世界、遁世者の心』2002 中央公論新社「日本の中世2」
がある。

 同じ著者のもので、先に引用した
 大隅和雄『中世/歴史と文学のあいだ』1993 吉川弘文館
にも重複しない論述がある。ただ『信心の世界、遁世者の心』が新しいので、ここで懸案として残されていたものが、そこには論じられている。

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