系年論と真言批判 2007/07/31★からぐらの風 #0024 --------------------------------------2007/07/31 ----☆系年論と真言批判☆---------------------------------------------- 日蓮の御書の系年を考える上で、準えていえば鉱物見本の《モースの硬度計》{01}の役割を担っているのが真言批判のあり方である。日蓮の公の真言批判は文永八年の法難に際して平頼綱に直言したことを嚆矢とし、それも弘法空海の東密批判から、やがて慈覚・智証の台密批判に及ぶという時間的経過をもっている。したがって、この流れで御書を編年配列すれば一種の《硬度計》ができる。いま、系年を判定したい御書に真言批判が含まれていれば、この流れの中のどこに位置づけられるかをみれば、その御書の系年が判定できるというわけである。 --------------------------------------------------------------☆☆---- しかし、この《硬度計》がどこまで信頼できるかは、さらに研究されねばならない。これを絶対視すると別な問題がおこる。このことは拙著『日蓮伝再考』{02}において注意を促したとおりである。少なくとも現存真蹟が少ない佐渡以前に、この《硬度計》を適用し、佐渡以前に真言批判は見られないと決め付けることには無理がある。 にもかかわらず、この《硬度計》を無理やり当てはめることによって、系年判定にねじれ現象を引き起こしている事例がある。それはいわゆる伊豆期の三御書(「四恩抄」「顕謗法抄」「教機時国抄」)においてである。 私は、系年判定の《硬度計》は一種類であってはならないと考えている。そこで私が『日蓮伝再考』および『日蓮自伝考』{03}で提示した《硬度計》は「法華経の行者」という言葉の使われ方である。これも、最初期の一般的な用法、やがて現れるメシアとしての用法、不軽菩薩となぞらえて自己を規定する用法、弟子檀那に及ぼしている用法などの違いが見られるが、これらは日蓮の立てた教機時国教法流布の先後の五義と密接に結びついている、つまりここにも系年判定に資する別な《硬度計》が成立するのである。 さて、ここで伊豆期の三御書について、『御書全集』や『昭和定本』など従来説では、それぞれ「四恩抄」は弘長二年正月、「教機時国抄」は弘長二年二月、「顕謗法抄」は弘長二年とする。これに対して、興風談所の『御書システム』{04}で出している系年説では、真言批判の《硬度計》を重視する観点から「四恩抄」の弘長二年正月十五日はともかくとして、「教機時国抄」を要検討とし文永八年説を示唆し、「顕謗法抄」となると文永九年頃に比定している。 しかし、単純にこのように配当してしまうと、佐渡期に事あらためて謗法論を洗い直す理由、五義をこと新たに提示する理由が不明瞭になるばかりか、明らかに『開目抄』の「法華経の行者」観などの説相と齟齬をきたすようになる。 「教機時国抄」「顕謗法抄」の系年説に関するかぎり、興風談所の系年論は納得できない。 この伊豆期の三御書の系年とその関係については、省みられることは極めて少なかったが、過去に突っ込んだ考証がなされており、『日蓮伝再考』以来、私の著作の中で、繰り返し紹介してきたところである。 『教機時国抄に学ぶ一』池田大作監修 大阪・堺青年部編 1995年聖教新聞社刊(p13〜p24) ただ、今では当該書が入手困難ということなので、こちらのホームページに関係箇所をアップしたので、ご一読願いたい。 伊豆期3御書の関係について http://www.ginpa.com/karagura/izu.html この所説も公開されてから、すでに十二年を経過しており、真言批判の観点もふくめて考察しなおす時期にきていると思われる。 しかし、その観点をいれてもなお、この所説の視点は今なお有効であると考える。むしろ、真言批判の《硬度計》を佐渡以前に及ぼし、佐渡以前に真言批判はなかったと断定することには、どのように考えても無理がある。 そのことを、日蓮の二つの御書を提示して再説したいと思う。 「清澄寺大衆中」「明星の如くなる大宝珠を給いて、右の袖にうけとり候いし故に、一切経を見候いしかば、八宗並びに一切経の勝劣、粗是れを知りぬ。其の上真言宗は法華経を失ふ宗なり。是は大事なり。先ず序分に禅宗と念仏宗の僻見を責めて見んと思ふ」(s1133.04,h946.03,p893.12) ここに、日蓮が若き日に真言を含む諸経の勝劣の概要を理解したこと、真言批判の表出には十分な計画性をもってなされたことを述べている。ただ「清澄寺大衆中」が建治二年の執筆であり、後年の回想文であるから、そのまま受容できないとするのが学問的立場であることは理解しているが、その回想が事実ではないと断定できないのも学問的立場であるはずで、この文を無視し捨て去ることはできない。少なくともこの文を謙虚に思索すべきであろう。 いまひとつは「本尊問答抄」の文意である。「真言宗と申すは一向に大妄語にて候が、深く其の根源をかくして候へば浅機の人あらはしがたし。一向に誑惑せられて数年を経て候。(中略)立正安国論と名づけき。其の書にくはしく申したれども愚人は知り難し」(s1581.14,h1280.07,p371.03) この書も丁寧に読むと、「立正安国論」にも真言批判を詳しく論じたが「愚人」には理解されないのだと述べている。振り返って「立正安国論」を再読すれば、たしかに文面は法然の念仏批判にとどまるものの、「立正安国論」で批判されているのは、全体の意として天台・真言を含む諸宗であることは了解できる。 また、日蓮が文永八年になって真言批判を始めるのも唐突な感を否めず、あるいは日蓮は真言批判を公場対決の時に切り出す隠しだまとして、かねて用意していたのではないかとも思われる。そして、公場対決の夢破れて、国主諌暁の場で初めて真言批判を語りだしたものではなかったか。このように考えれば、本格的に真言批判が佐渡以降において展開された理由も納得できるのである。 逆にそれまでに十分な準備がなければ、佐渡の流罪地で、急に堰を切ったように真言批判を展開できるものではないと思われる。 このようなわけで、「顕謗法抄」や「教機時国抄」などの法門書に真言批判が漏れ出ていても不思議ではない。系年は一つの観点だけではなく、多重的にみるべきだと思う。 ----☆注記☆---------------------------------------------------------- {01}モースの硬度計 鉱物の硬度比較の標準となる10個の鉱物の組合せ。これらの鉱物で順次試料の表面をひっかいて硬度を判定する。『広辞苑』参照。 {02}『日蓮伝再考』 山中講一郎著、2004年、平安出版刊。72頁参照。 {03}『日蓮伝再考』および『日蓮自伝考』 『日蓮伝再考』は387頁参照。『日蓮自伝考』は、山中講一郎著、2006年、水声社刊。249、284頁参照 {04}興風談所の『御書システム』 http://www5f.biglobe.ne.jp/~goshosys/ --------------------------------------------------------------☆☆---- _/_/^/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/~/_/_/ (ー_ー).。o○ からぐら文庫 : http://www.ginpa.com/karagura/ 魯ひとへのメールは : https://sv21.wadax.ne.jp/~ginpa-com/cp-bin/phpformmail/ ●関連記事からぐらの風・indexへ | |