『蒙古事』の系年 2007/07/27★からぐらの風 #0023 --------------------------------------2007/07/27 ----☆『蒙古事』の系年☆---------------------------------------------- 『蒙古事』の系年について、『平成新編』では弘安二年八月六日につけている。なぜ、弘安二年としたのかについては分からない。おそらくは『異体同心事』を弘安二年につけたことに関連して、こちらも同年においたものであろうか。しかし、別御書とした以上は、独自に系年を考察する必要がある。以下、魯ひとの考察を試みる。 --------------------------------------------------------------☆☆---- まず、文中「べんあさりがびんぎ」(s830.01,h1378.16,p1463.16)云云とあることから、これは身延期のものとみなしてよい。日蓮が日昭の阿闍梨号を認知しているのは佐渡以降であり、日昭が佐渡を訪問したことがないから、身延期とみなせる。 次に「もうこの事、すでにちかづきて候か」(s830.02,h1378.17,p1463.17)とあることが、考察の対象となる。それは、これが第一次蒙古襲来の文永の役(文永11,1274年10/5)をさしていると見るべきか。第二次蒙古襲来、弘安の役(弘安4,1281年5/21)をさしているとみるべきかという問題である。 佐渡帰還後の日蓮が、平左衛門尉に蒙古について聞かれて「天の御気色いかりすくなからず、きうに見へて候。よも今年はすごし候はじ」(s1053.14,h867.16,p287.18)と強い調子で断言したのが、文永十一年四月八日。鎌倉を捨て身延へ入ったのが、五月十七日。そこから、蒙古襲来まで五箇月しかない。非常に緊迫した時期である。 そして、襲来直後の『顕立正意抄』には『立正安国論』を再掲して厳しい語調で弟子たちを戒めている。前後のこのような厳しい語調を思う時、その頃は、弟子たちに「さては各々としのころいかんがとをぼしつる」(s830.02,h1378.17,p1463.17)と問いかけるようなものではなかったと思われるのである。 「国は滅ぶとも」という表現はあるが、むしろその表現には、ある種の余裕(あるいは自信)さえ感じられる。本当に国が滅ぶと思っていたとすれば、逆にそのような表現はとてもできなかったと思われる。 第一次襲来後の大きな事件というと建治元年九月七日、蒙古の使者杜世忠・何文著等五人を幕府が竜口で処刑している。捨て身で来ている外交使節の首を刎ねるというのは冷静さを欠いている証拠であり、社会にパニック現象が現れているということであろう。 むしろ、こういう世相を背景に「各々としのころいかんがとをぼしつる」と日蓮は問いかけたのではなかったか。もちろん、これでは推測であっても論証にならない。もう少し別な角度から考察してみよう。 「我国のほろびん事はあさましけれども」と近似した表現を探してみると、次の表現がみられる。 建治元年の『妙一尼御前御消息』「又いゐし事むなしからずして、大蒙古国もよせて、国土もあやをしげになりて候へば、いかに悦び給はん。これは凡夫の心なり」(s1000.12,h832.11,p1253.15) 建治二年の『種種御振舞御書』「又此の度も用ゐずば大蒙古国より打手を向けて日本国ほろぼさるべし。ただ平左衛門尉が好むわざわひなり」(s977.05,h1066.10,p919.18)がみられる。 また、注目されるのは「雪山の下王」の故事である。日蓮がこの故事を引くのは他に建治二年七月の『報恩抄』のみである。「例せば訖利多王を雪山下王のせめ、大族王を幻日王の失ひしがごとし」(s1224.06,h1020.11,p313.10) さらに「法華経の行者をあだむ人を罰せらるるか」という表現も注目されよう。というのは罰を説くのに、法華経という「法」に対してではなく、「法華経の行者」という「人」をもってするのは日蓮独特の表現と思われるからである。同様の表現は次の御書に見られる。 建治二年の『種種御振舞御書』「これは法華経の行者をそしりしゆへにあたりし罰とはしらずや」(s985.09,h1071.13,p925.01) 弘安二年の『中興入道御消息』「法華経の行者をあだむ人を罰し給ふ」(s1718.02,h1433.18,p1334.13) 逆に「阿闍世王の仏に帰して白癩をやめ」という功徳の類似表現としては、次のものがある。 建治元年の『高橋入道殿御返事「阿闍世王は父をころし仏の敵となれり。悪瘡身に出でて後、仏に帰伏し法華経を持ちしかば、悪瘡も平癒し寿をも四十年のべたりき」(s1091.05,h891.07,p1462.15) 建治元年の『太田入道殿御返事』「爾の時に世尊大悲導師、阿闍世王の為に月愛三昧に入りたまふ。三昧に入り已りて大光明を放つ。其の光り清涼にして往きて王の身を照らすに身の瘡即ち癒えぬ」(s1116.03,h911.15,p1010.03) 佐渡期の『南部六郎三郎殿御返事』にも類似の表現はあるが、『蒙古事』は身延期であることは動かないと思われるので、これは判断から除外される。 以上、『蒙古事』の表現を分析すると、建治元年から建治二年の御書と強い近似表現をもっていることがわかる。 また、『異体同心事』と錯簡して合体してしまった経過を推定するならば、年代的に近接していたので隣接してまとめられていたものが、『異体同心事』の末紙、『蒙古事』の第一紙が脱落したために誤って合体してしまったと考えれば、『異体同心事』と『蒙古事』の系年はきわめて近いと思われる。 今、両者の系年をまったく別々に考察したわけであるが、『異体同心事』は建治元年秋、『蒙古事』は建治元年から建治二年の八月六日と、結果的に、きわめて近い数字が導き出されたことは、当たらずとも遠からず、きわめて妥当な線ということであろう。 なお、「からぐらの御書データ」では、『蒙古事』の系年を「建治二年。五十五歳。(弘安二年八月六日。五十八歳)」とし、『詳註年譜』では「弘安二年八月六日」とししており、混乱が見られる。次期バージョンで、今回の考察を反映したいと思う。(ユーザーの皆様のご判断で、お手元のデータを書き換えられることはご自由である。) --------------------------------------------------------------☆☆---- _/_/^/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/~/_/_/ (ー_ー).。o○ からぐら文庫 : http://www.ginpa.com/karagura/ 魯ひとへのメールは : https://sv21.wadax.ne.jp/~ginpa-com/cp-bin/phpformmail/ ●関連記事からぐらの風・indexへ | |