「我深敬汝」の人
「我深敬汝」の人 2007/07/09★からぐらの風 #0020 --------------------------------------2007/07/09 ----☆「我深敬汝」の人☆---------------------------------------------- 大阪の四天王寺の真ん中に「亀池」と通称される池がある。そこには何千(ひょっとして何万)匹もの亀が棲んでいる。よく見ると全て首に赤い筋がある。これは日本産の亀ではなくミシシッピ原産のアカミミガメである。昔は日本のイシガメやクサガメがいたのだが、淘汰されて今は一匹もみることができない。このアカミミガメは幼体をミドリガメといい、夜店の客引に売られていたものであった。それか大きくなって飼いきれなくなって、飼い主によって、ここに捨てられたものである…。 じつは中世以来、ここ四天王寺は、亀ならぬ人の捨て場所でもあったのだ。 --------------------------------------------------------------☆☆---- 有名な中世の説教節に「山椒大夫」の話がある。人買に売られて奴隷にされた厨子王丸が追手から逃れて悲惨な姿でたどり着いたのが、この四天王寺であった。また、「人がきらう病(ハンセン病か)」となって四天王寺に捨てられる「俊徳丸」の悲話は現代も語り継がれている。 注 「山椒大夫」「俊徳丸」の説教節は、『新潮日本古典集成/説教集』新潮社、1977年刊。 ところで、なぜ四天王寺が行き場をなくした人の捨て場になったかというと、件のアカミミガメと同じである。そこは多くの参詣者が集まるところであるから、その施しに期待することができる。また同じ境遇の人が多くいるので、助け合いながら、ぎりぎりに生きられるといったことであろうか。(しかし正確にいえば、厄介払いのために社会が、そこを人捨ての場としたからである。=この項追加 2007/07/10) このような「人捨て」は民権や人権が語られる近代まで続いた。否、近代こそ大義名分のもとに「人捨て」が制度化され、悲惨さが増幅されるようになるのである。 ともあれ、近代の初頭、明治のころには、四天王寺のみならず、広い境内を持つ寺社は、そのような人の捨て場になっていたという。そのひとつに身延山久遠寺がある。その境内を流れる身延川の河原敷には、親や家族に捨てられたハンセン病の人たちが何の治療も受けられず、打ち捨てられていたのである。 明治39(1906)年、一人の若い僧侶が初めて身延に登山する。その時、一人の少年に取りすがられ窮状を訴えられるのである。その実態を知るや、その僧侶は、そこを立ち去ることができなくなった。以来、国許の家と資産を処分し、全国を行脚して資金を集め、民間の力で施設を作り、九十五歳の生涯をハンセン病者の救済に費やすのである。 名を綱脇龍妙という。日蓮宗の僧侶である。彼が、この救済に生涯をかけるようになった内的動因は法華経の不軽菩薩の生き方であった。不軽菩薩の「われ、なんだちを深く敬う」(我深敬汝等)という無限の礼拝行を己が規範としたのだ。 彼が作った施設の名も「深敬園」という。その場所は、身延の西谷、鷹取山の直下にある。かつて日蓮の草庵があった場所から直線で500メートルと離れていない。だから日当たりが悪く、昼を過ぎると日陰になり、洗濯物が乾かないという。ここにあらゆることが凝縮してみえる。 そう、かの日蓮も日本国の人々に捨てられた身の上であった。「人にすてられたるひじり(聖)の、寒にせめられて」(s1902.07,h1583.18,p1476.10)と。この「深敬園」もまた、日本国に捨てられた人々の園であった。そこに、どんな苦労と苦難があったか、想像力が働かないとしたら、おのが心の枯渇をこそ憂うべきであろう。 日蓮と綱脇龍妙の「深敬園」とは、精神において大きく共鳴し合うものがあると思う。ここでは観念的な信仰論や正邪論義は無意味である。心に響くものありて、他に何かいうことあらん。「心こそ大切に候へ」(s1599.07,h1290.14,p1316.16) 綱脇龍妙の志は、その女房を動かし、娘や孫に受け継がれ、戦前・戦中・戦後の動乱と混乱のなかをも乗り切っていった。そして医療の発達により、やがて「深敬園」は入園者が減り、平成5年に閉園となる。86年にわたる尊くも苦難の歴史であった。 私には、観念的な正邪論は、もはや心に響かない。それよりも、その人がどんな生き方をしてきたのか。その人の主体的な振る舞いだけが、今の私の判断軸である。 綱脇龍妙と「深敬園」のことは、 加藤尚子『もう一つのハンセン病史』―山の中の小さな園にて― 医療文化社、2005年刊。 文中、綱脇龍妙について、近代の人であるのに敬称をつけなかった。否、つけられなかったのである。歴史のなかに確たる足跡を残した人には、かえって敬称をつけるのは面映い。たとえば野口英世を野口英世氏などとは書きにくいであろう。綱脇龍妙はやはり綱脇龍妙なのである。 --------------------------------------------------------------☆☆---- _/_/^/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/~/_/_/ (ー_ー).。o○ からぐら文庫 : http://www.ginpa.com/karagura/ 魯ひとへのメールは : https://sv21.wadax.ne.jp/~ginpa-com/cp-bin/phpformmail/ ☆お茶ばなし☆
しかし、自分の研鑽を支えているのは、コクピットのように組み上げて来たソフトとデータの諸設定、これを復旧するのには何箇月もかかかりそう。 それはそうと、メール関係のデータは全部消失。アドレスはバックアップがあるものの、読者の皆様とのやり取りの記録が消えてしまいました。メールサーバーに残っていたメールは、大丈夫ですが、それ以前のものが飛んでしまったわけです。 もし、皆様からの大切なご連絡など、ありましたら、恐れ入りますが、ご再送ください。 からぐらの風・indexへ | |