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ハンセン病と日蓮 2007/07/04





★からぐらの風 #0019 --------------------------------------2007/07/04
----☆ハンセン病と日蓮☆----------------------------------------------

 近代日本という国家は、かつて優生法や癩予防法の名のもとに、本来感染力の弱く、治癒も可能なハンセン病者を隔離し、著しい虐待や人権侵害を長期にわたって行なってきた。いわば国家が犯罪を犯してきたわけである。国家の犯罪とは何か。はっきり言えば国民一人ひとり、我々自身が共犯者であり、加害者であったということである。
 この国の文化や宗教の今後の健全な発達のためには、私たち一人ひとりがこの問題から目をそらさず、正面から見据えていく必要があるだろう。日蓮の仏法とて例外ではない。この問題から目をそらした時、日蓮の仏法から未来は消える。

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 ここにある最大の問題は何か。それは一方で救済や慈悲を説き、同苦を言いながら、一方で目の前に展開されている悲惨や人権問題に余りにも鈍感であったということである。ここでは知らなかったという言い訳は通用しない。知ろうと思えば、いつでも知ることができたのだ。この鈍感さは、いまも続いている。

 今回は、ダイレクトに『法華経』と日蓮の人権意識について検証してみよう。不遜というなかれ。学問という場では特別な存在、不問に付してよい絶対的な存在はありえない。そして、今や、ここを突き抜けていかねばならないのだ。

 じつは、一切衆生の成仏を説ききったといわれる『法華経』であるが、その『法華経』の持つ差別的な表現が日本社会における差別を助長し、正当化してきたことが、いま厳しく問われている。問題表現は、『譬喩品』『安楽行品』『普賢品』の三品に集中しているが、これはある種、構造的な問題ともいえる。決して翻訳上の問題に帰して逃げることは許されない。

 いま、特に問題となる代表的な文言を挙げれば、『普賢品』の次の表現がある。
「若し復た是の経典を受持せん者を見て、其の過悪を出さば、若しは実にもあれ、若しは不実にもあれ、此の人は現世に白癩の病を得ん。若し之を軽笑すること有らば、当に世世に、牙歯疎欠、醜脣平鼻、手脚繚戻し、眼目角ライ(★目+來)に、身体臭穢にして、悪瘡膿血、水腹短気、諸の悪重病あるべし」(法華経677)

 この文言が、差別を正当化し、難病で苦しむ人に、さらに追い討ちをかけ、絶望の底に突き落としてきたことはもはや否定できない。「そのような病気で苦しむのは、自分の過去世の悪業なのだ。誰の所為でもない。自分の所為なのだ。それを今世で懺悔して、宿命転換しなければならない」もっともらしい。この言葉には、高見から見下ろした強者の驕りがある。

 少なくとも日蓮が病者、病に苦しむ人に向かって宿業論を説いた例はみられない。「転重軽受」の法門は、法華経の受難を主体的に語ったものであって、決して難病に苦しむ人の病について語ったものではない。

 ほんらい、宿業論で、人を再起させるには、その人の人生を丸抱えするくらいの覚悟がいる(例えば戸田城聖氏のそれ)。それなくして、言葉をもてあそぶ人が余りにも多い。そこには同苦の重みがない。その人の難病が、過去世に悪業を積んだ果報だと誰が証明するのだろうか。「現当二世」を説き、過去を問わないのが本来の法華経ではなかったか。

 「ハンセン病者の病苦は、ハンセン病者自身の過去世の所為などでは断じてない」

 ともあれ、この『普賢品』の文言を日蓮は、御書の七箇所でそのまま引用している。中世においては、未だ医学や衛生学が発達せず、ハンセン病が不治の難病と信じられていた。その常識と法華経信仰の上から、ごく自然な引用であろうと思われる。

 今日的な視点で日蓮を指弾することはもちろんできない。しかし、末学に位置する私たちが無批判に日蓮の引用を受容するならば、その人権感覚が批判されて当然なのである。

 「ハンセン病者の痛みを知らねばならない」

 さて、この七箇所の引用以外に、日蓮がハンセン病に触れた文は、十三箇所に拾うことができる(複数回あっても連続している場合は一とし、同一御書でも離れてある場合には二とカウントした)。これらを検証していくと、日蓮が決して中世という時代に呑み込まれているのでもなく、『法華経』を単純無批判に受容しているのでもないことが明らかになる。

 まず、日蓮が白癩病(ハンセン病)の果報を説くのは、決して信徒個人に対してではないことに注意する必要がある。日蓮が白癩病とするのは、一に日本国総体、万民全てに対してで、特定の病者を対象としていない。特定人を挙げる場合は、権力を握って弾圧をしている権力者であり、それに加担している指導階級たる僧侶に対して向けられている。

 妙法曼陀羅供養事「日本国の一切衆生も是くの如し。女人よりも男子の科はをもく、男子よりも尼のとがは重し。尼よりも僧の科はをもく、破戒の僧よりも持戒の法師のとがは重し。持戒の僧よりも智者の科はをもかるべし。此等は癩病の中の白癩病、白癩病の中の大白癩病なり」(s700.01,h690.11,p1306.04)

 仏眼御書「白癩病の者のあまたありて、一人のしる人日蓮をにくみしかば、此の山にかくれて候」(s1386.12,h1195.04,p_)

 このあたりの日蓮が使う「白癩病」という言葉は、もはやハンセン病から離れて謗法ゆえの「頭破作七分」と同義語になっている。(日蓮の謗法論については、再度問い直す必要がある。他日を期す)

 と言うよりは、日蓮はじっさいのハンセン病者に対しては、むしろ、一体感、共感を示しているのではないかと思われる。

 『撰時抄』には「彼の天台座主よりも南無妙法蓮花経と唱る癩人とハなるへし」(s1009.11,h838.18,p260.11)という文言がみえる。当時の常識では仏者の最高位であった叡山の座主より、すでに人間扱いされていなかった最下層のハンセン病者を選ぶというのである。

 じつは、この『撰時抄』には真蹟異本があって、近年まで身延山に伝わっていたのである。残念ながら、今その写本を一分残すのみであるが、一般に流布している玉沢本よりも内容的に深くなっているように思われる。件の箇所は次のようになっている。

 「将又叡山・東寺・七大寺・園城寺の諸寺・諸山の座主、御室檢校・長吏・別當・院主にて、真言大日権経をもちて法花経を誹謗せんよりも南無妙法蓮花経と唱、癩人にてこそ有まほしけれ。」(寺尾英智『日蓮聖人真蹟の形態と伝来』1997年、雄山閣、二九八頁)

 端的に現代語に置き換えるならば、「南無妙法蓮華経と唱える癩人にこそ、なりたいものだ」という表現である。

 この文の直前には、「正像の大王后に生よりも、今の匹夫織女にてこそ有め」という文があって、「癩人」の文と対になっている。つまり、末法に腰をすえた日蓮にとって「匹夫織女」こそが本意であり、心はそこにあるということである。そして、また社会の最底辺に押し込まれた癩人、ハンセン病の人こそが、日蓮の心にかかっている人だということになろう。目の覚めるような言葉ではないか。

 先にみたように、中世社会のなかでできた御書には、癩、白癩という言葉が少なくない。一見、最下層として賎しんでいるように見えるが、それは、ごく身近にそういう人たちが間近にいたこと(当時は隔離などされていなかった。四天王寺の参道なんかにはたくさんいたのである)、それをまた恐れている人が周りにいたことを反映していると思う。だから、現代とちがって直接的な表現が多いが、日蓮は、その人たちから決して視線を外していないのである。

 日蓮が、妙法蓮華経の五字を説く理由が次のように説明されてある。
 撰時抄「後の五百歳に一切の仏法の滅せん時、上行菩薩に妙法蓮華経の五字をもたしめて、謗法一闡提の白癩病の輩(ともがら)の良薬とせん」(s1017.08,h844.01,p265.06)

 むしろ、ハンセン病者をその家族から切り離し、別社会に分離してしまった、そのはしりは、歴史の教科書にも出でくるハンセン病者の救済活動をしたといわれる良観房忍性である。日蓮は良観のじっさいを厳しく見つめていた。

 良観の活動は、政治権力と癒着したところでなされていた。日蓮は、そうした政治と癒着していた仏教や権力とぶつかって諸難を受け、それを乗り越えていったのである。そして、『法華経』を身読した暁に、一方で『法華経』が賎しんだ「旃陀羅が子」の宣言となって現われ、また一方で「南無妙法蓮華経と唱える癩人になりたいものだ」という表現を生み出していったのだと私は思う。

 この「旃陀羅が子」の宣言の意味については、拙著『日蓮自伝考』の「あとがき」で触れたが、従来、非常に大切なことを見落として来ていたといえる。日蓮が「旃陀羅が子」を名乗ったのは、決して弘教のはじめからではなく、漁師の子だからでもなかったのである。(山中講一郎『日蓮自伝考』2006年、水声社、三九六頁)

 他でもない日蓮が宣揚した『法華経』自身が旃陀羅を差別している。『安楽行品』では旃陀羅に近づくことを禁じているのである。「又た旃陀羅、及び猪羊鶏狗を畜い、畋猟し漁捕する諸の悪律儀に親近せざれ」(法華経424)

 そういう認識のなかで、当時の顕密社会は旃陀羅を一闡提と同じで絶対に成仏しないとしていたのである。

 しかし日蓮は『安楽行品』ではなく、『勧持品』を実践し、『安楽行品』を隠れ蓑としていた権力に癒着する仏教「僣聖増上慢」を引きずり出したのである。その時、日蓮は『法華経』の中に混入していた差別思想の残滓を打ち破って自由になったというべきであろう。

 それが、日蓮の「旃陀羅が子」宣言の意味であり、日蓮の『勧持品』実践の意味だったのである。ゆえに、この「旃陀羅が子」という言葉が出て来るのは、竜口を突き抜けて佐渡に入ってからのことであった。

「日蓮は日本国・東夷・東条・安房の国・海辺の旃陀羅が子なり」(s511.04,h482.18,p891.11)→文永八年十月
「日蓮今生には貧窮下賎の者と生れ、旃陀羅が家より出たり。心こそ、すこし法華経を信じたる様なれども身は人身に似て畜身なり」(s614.04,h580.10,p958.09)→文永九年三月二十日

 つまり、「法華経最第一」を立て、法華専修を主張する日蓮は、時に教条主義者と見做されることが多いが、決してそうではなく、むしろ『法華経』を乗り越えていったと言えると思う。

 四信五品抄に「妙法蓮華経の五字は経文に非ず、其の義に非ず、唯一部の意ならくのみ」(s1298.1,h1114.16,p342.04)とある。

 ここに経文を「文、義、意」の「意」の立場からみる日蓮の確かさが窺える。

 日蓮を立てながら、日蓮を尊崇するといいながら、日蓮の御書を教条的にのみ受け取って満足していた、私たちの鈍感さが、日蓮のこのような思想のきらめきを見落としてきたのである。

 そして同時に、その私たちの鈍感さゆえに、かのハンセン病者に対する国家的犯罪に加担してしまったといえるのではないだろうか。歴史を繰り返してはならない。思索と判断を人に委ねてはならない。

 次回は、法華経者として、ハンセン病者の救済に一生を捧げた人とその事跡を紹介しよう。

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