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『煩悩即菩提御書』について 2007/06/29





★からぐらの風 #0017 --------------------------------------2007/06/29
----☆『煩悩即菩提御書』について☆----------------------------------------

 私たちが単純に御書の世界だけに浸っている場合、また宗史宗学の世界に閉じこもってものを考えていると、そこに書かれていることが、そのまま日蓮の思想だと錯覚してしまうことがある。しかし、もう少し広く、思想史の流れのなかで、御書をみていると、同時代の天台や浄土宗の文献にも御書と同じ語彙、術語が多く使われていることがわかる。

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 同時代の中で日蓮の思想が卓越していることは事実であろうが、何が日蓮の思想であり、何が同時代の思潮であるかを私たちは見極めていかねばならない。日蓮の思想に自らが拠って立つというならば、日蓮思想がいかなるものであるかという真摯な探索が求められるべきではないだろうか。

 そういう意味から、思想史の上において日蓮の御書、日蓮の御書とされるものを眺めてみると、どうしても違和感を覚える一群の書がある。そうしたものを、このレターでは順次取り上げているが、今回は四条金吾宛とされる『煩悩即菩提御書』を点検する。

 「第十八代の座主・慈慧大師なり御弟子あまたあり。其の中に檀那・恵心・僧賀・禅瑜等と申して四人まします。法門又二つに分れたり、檀那僧正は教を伝ふ、恵心僧都は観をまなぶ。されば教と観とは日月のごとし。教はあさく観はふかし。されば檀那の法門は・ひろくして・あさし。恵心の法門は・せばくして・ふかし」(s634.14,h597.07,p1116.07)

 ここで日蓮は、中古天台の思潮を俯瞰しているように思われるが、本当にこれが日蓮の思想なのであろうか。

 まず、不審の第一は「教と観とは日月のごとし。教はあさく観はふかし」と教観相対を語っていることである。教観相対とは、教相と観心の相対であるが、教観相対は、身延派などで富士の「種脱相対」に対抗して立てているものではなかったか。がんらい教相と観心は次元の違う視点であり、相互補完の関係にある。はたして両者を相対できるものであろうか。

 少なくとも日蓮の確実な著作では、このような教観相対を語った箇所は見られない。日蓮が五重にわたる相対を語った『開目抄』にもそのような観点は見出せない。それどころか『開目抄』では、『摩訶止観』や『弘決』の次の文を引いている。

 「止の七に云く『九の意、世間の文字の法師と共ならず、事相の禅師と共ならず。一種の禅師は唯観心の一意のみ有り。或は浅く、或は偽る。余の九は全く無し。此れ虚言に非ず。後賢眼有らん者は、当に証知すべきなり』。
 弘の七に云く『文字の法師とは、内に観解無くして唯法相を構う。事相の禅師とは、境智を閑(なら)わず、鼻膈に心を止む。乃至、根本の有漏定等なり。一師、唯観心の一意のみ有り等とは、此れは且(しばら)く与えて論を為す。奪えば則ち観解倶に闕く。世間の禅人偏に理観を尚(とうと)び、既に教を諳んぜず。観を以て経を消し、八邪・八風を数えて丈六の仏と為し、五陰・三毒を合して名づけて八邪と為し、六入を用(もつ)て六通と為し、四大を以て四諦と為す。此くの如く経を解するは、偽の中の偽なり。何ぞ浅くして、論ずべけんや』等云云」(s596.14,h568.12,p228.14)

 難解な文の引用で申し訳がないが、「唯観心の一意のみ有り。或は浅く、或は偽る」とは「教相」無視して「観心」だけを立てる誤りを指摘しているのである。逆に「教相」にとらわれて「観心」がないことを「文字の法師とは、内に観解無くして唯法相を構う」としている。

 けっきょく、教相と観心は車の両輪のようなものであり、どちらかに偏っても車は真っ直ぐに走らないし、正しい認識は得られない。決してどちらが深く、浅いというような比較が成り立つものではない。教観相対のトリックは、この相互補完の関係から、『開目抄』における本迹相対を、次の段階で本迹一致の結論に引き戻そうとするものといえる。

 この『煩悩即菩提御書』は、文献学的には、真蹟や上代の写本がなく、身延山日朝の『日朝本録外目録』に見え出し、最も古い写本は身延文庫蔵の日朝写本であることは注意を要する。

 ここで注意を要することは、「されば檀那の法門は・ひろくして・あさし。恵心の法門は・せばくして・ふかし」と恵心流を深いとしているのであるが、これとは逆に檀那流をよしとする文言が『立正観抄送状』には見られる。

 「明らかに知んぬ、法華の迹門に及ばずと云ふ事を。何に況や本門をや。若し此の意を得ば檀那流の義尤も吉なり」(s871.13,h775.02,p535.1)

 両者は相容れないはずである。また、檀那流であれ、恵心流であれ、日蓮が、その一方に肩入れしているのは不審極まりない。

 しかも、一方を浅く広いとし、他方を深く狭いとする比較は、『煩悩即菩提御書』独自の表現ではなく、『元亨釈書』にもみられる。『元亨釈書』巻第五の安海伝には、「恵心は浅広なり、掲レイ(★勵-力)して渉りつ可し、檀那は深狭なり、踰跨に過ぎず」という言葉が見えている。

 このような文脈で、『煩悩即菩提御書』が「今日蓮が弘通する法門はせばきやうなれどもはなはだふかし」(s635.04,h597.11,p1116.12)と述べても説得力は無い。日蓮がこのような認識に立っていたとも思えない。狭いということは、普遍性を持たないということだ。

 ところで、この『立正観抄送状』も本体の『立正観抄』も、文献学的にも内容的にも疑問だらけなのである。両書は最蓮房宛となっているが最古の写本は身延日進のものである。

 しかも同時代の思想史の上で、おやっと思うのは、檀那流の口伝『五箇血脈』の中でこの『立正観抄』が取り上げられていることである。

 「今此の一紙の灌頂と云うは、此の証道の灌頂の事なり。此の法門を意得ざれば、授職灌頂得意抄、立正観抄等の御書の御文体を意得うべからざるなり。」(『玄旨壇秘抄上』所収36頁)

 ここで、「授職灌頂」のことが分からなければ『立正観抄』は理解できないと述べている。(この文献『玄旨壇秘抄』は中古天台の口伝類を集めたもので、現在入手は困難と思われるが、『続天台宗全書』の第二期分として収録の予定と聞いている。)

 つまり『立正観抄』はこの檀那流の口伝とべたべたの関係の中で成立していると思われる。このことは『立正観抄』本文からも窺うことが出来る。

 「然るに当世の天台宗の学者は天台の石塔の血脈を秘し失ふ故に、天台の血脈相承の秘法を習ひ失ひて、我と一心三観の血脈とて我が意に任せて書を造り、錦の袋に入れて頸に懸け、箱の底に埋めて高直に売る故に、邪義国中に流布して、天台の仏法破失するなり。」(s850.06,h772.04,p532.13)

 これは日蓮の時代のできごとというよりは、中古天台の第二期、南北朝から戦国時代にかけてみられた風潮とされる。またここに「天台の石塔の血脈を秘し失ふ故に」とあるのは上記『五箇血脈』に記されている内容そのものである。

 そのような思想史を踏まえて『煩悩即菩提御書』を改めて見る時、檀那流の玄旨帰命壇と結びつく文言が眼に飛び込んでくる。

 「まさしく男女交会のとき南無妙法蓮華経と・となふるところを煩悩即菩提・生死即涅槃と云うなり」(s636.02,h598.03,p1117.02)

 檀那流の玄旨帰命壇とは、煩悩の極として男女のSEXを取り込んだ思想である。後世において玄旨帰命壇が腐敗のきわみとして批判されたのは当然であって、邪教とされる立川流もここから生じている。

 生涯を聖僧としてすごした日蓮がこのような男女のSEXを語ることはありえない。参考までに、玄旨帰命壇にかかわる檀那流の口伝を紹介しておこう。

 『塔中相承総持妙法蓮華経口伝』
「尋ねて云く、我等衆生和合の体なる事如何。口伝に云く、父母交懐して赤白の一滴を下す時、本命元神の二星、父母の肩に下り、七日を経て耳より入り、一月を経て赤白二水と成り、男女の赤白合して根門に浮ぶ。その量七分の円形なり、この円形次第次第に長じて我等衆生と成る」(玄旨壇秘抄下90頁)

 なんでこれが、法華経の奥義を説いた口伝なのかと思うが、彼等はこんなことを一生懸命に考えていたのである。

 また、『煩悩即菩提御書』にしても、『立正観抄』にしても、恵檀両流のの思想が混交してあるが、両者はがんらい対立関係にあり、このような恵檀の混合は、日蓮の時代にはまだ見出せない。恵心流の流れのなかに檀那流の口伝が公開されて混合しているのは、関東天台仙波檀林の特徴であろう。『玄旨壇秘抄』によれば、伝わる檀那流の口伝『五箇血脈』は仙波檀林で筆録されたものである。

 この仙波檀林とは、現在の埼玉県川越にあった天台の学校であり、田舎天台と通称される。まさにこの場所こそ、中古天台の口伝相承と日蓮門下の出会いの場であったのである。ここには身延の日進や日朝たちが学んでいたし、富士派の学者たちもまたここで学んでいたことは否定できないであろう。

 以上、教観相対という誤った義において、恵心・檀那両流との関係性において、私は『煩悩即菩提御書』を信用するに足りないと考える。

 たしかに『煩悩即菩提御書』には、信仰者が好むおいしい言葉が散りばめられている。しかし、おいしい言葉でまぶすのは詐欺の常套手段である。おいしい言葉に惑わされてはならない。

 おいしい言葉、自分に都合のよい言葉でもって御書を判断するなら、それはおのが心を師として御書を読んでいることとなる。兄弟抄にいわく。

「心の師とはなるとも心を師とせざれとは、六波羅蜜経の文なり」(s933.07,h987.09,p1088.15)
                   初稿2007/03/17[k3889]

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●関連記事

     ここで、読者から頂いた文を紹介したい。

    【地下者(じげもん)さんの『煩悩即菩提御書』批判】

     煩悩即菩提御書については、著者に、いわば「叡山の秘法コンプレックス」みたいなものがあり、日蓮門流のシンプルな行法に不足を感じ、自家を権威づける為に、偽作したのではないかと愚考した次第です。
    いわば、「外道が曰く 我は九十五究竟道」に堕ちた姿で、それがひいては、後々の本尊雑乱、○○祈願のデパート化にもつながったのではないか、とも感じています。

     以下、私が不審に思った点を列挙してみます。
    1.冒頭部分、共に竜の口の死線をかいくぐった金吾に、あのような事を大聖人がおっしゃるだろうか。
    2.自伝考でご指摘の、金吾の佐渡訪問の可能性。
    3.「かかる大難にあひ候は・くやしくおもひ候はず」負け惜しみの如し。「喜悦はかりなし」「涙ひまなし」との御境涯と、えらい違い。
    4.「まさしく男女交会云々」、密教・所謂天台本覚の悪臭ぷんぷん。カーマ・スートラか。文脈も唐突。
    5.「教」と「観」を同列に置き、その勝劣を論じる。
    6.慈覚・智証の末裔が、肯定的な流れで語られてる。
    7.「狭く深い」が「浅く広く」に勝るという珍妙なモノサシ。
    8.5〜7を受けての、「せばきようなれどもはなはだ深し」 
     当時の金吾が、そのような疑念を抱いてたとは思えない。
     著者の、「秘法」コンプレックス。
    9.「女房にも此の由を云ひふくめて」;金吾の人となりと、境遇を知る人の言葉とは思えない。(私の問題意識の中心は、このへんにあります。)



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