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中古天台について 2007/06/28





★からぐらの風 #0016 --------------------------------------2007/06/28
----☆中古天台について☆----------------------------------------------

 日蓮の仏法を歴史的にとらえようとすると、どうしてもバックグラウンドとしての中古天台の知識が必要になってくる。ところがその一般的なイメージは漠然とし、混沌としているように思われる。ネットで検索してみても、それぞれが、それぞれの立場で気ままに述べており、全体像がつかみにくい。そこで、少し自分自身の整理の意味で、日本天台の歴史を概観してみたいと思う。

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 「中古天台」という言葉は、日蓮も使っているとする人もいるが、言葉の概念は少し違うようである。

四信五品抄「恐らくは中古の天台宗の慈覚・智証の両大師も天台・伝教の善知識に違背して、心、無畏・不空等の悪友に遷れり」(s1296.06,h1112.12,p339.18)

 ここでは、慈覚・智証の時代を「中古」としているが、現在使われている概念では、慈覚・智証の時代は「上古天台」の範疇に入る。

 日蓮が使っている「中古」という言葉は、天台宗の時代区分ではなく、日蓮の鎌倉時代からみた仏教の時代区分のようである。次のような言葉の使用例がある。

四条金吾許御文「中古の義に或は八幡の御託宣とて阿弥陀仏と申しける事少々候」(s1821.10,h1523.11,p1195.10)
智妙房御返事「世間の人々は八幡大菩薩をば阿弥陀仏の化身と申すぞ。それも中古の人々の御言なればさもや」(s1826.05,h1526.10,p1286.13)

 また、「上古」という言葉も御書から多く検索することができる。合わせて考察すると、日蓮のいう「上古」とはインド、中国における論師・人師の時代を指し、「中古」とは仏教が日本に伝来して以降平安時代前期までの時代を指していると思われる。

 この言葉は、上古、中古、下古という「三古」の概念から来ている。このうち「下古」は「下」という字を避けて「近古」と言い換えられることが多いようである。「古」とは、もちろん「むかし」という意味である。

 いま問題になっているのは、日蓮の時代の時代区分ではなく、日本天台教学史における時代区分である。

■上古天台

 上古天台とされるのは、最澄から第一世代(義真、円澄、光定、円仁)、第二世代(円珍、安慧、遍照)、第三世代(相応、安然)の八世紀から九世紀に比定される。

 この時代で見過ごしてはならないのは、五大院安然である。比叡山の教学を決したのはこの人物であり、台密教学の大成者とされる。日蓮は「叡山第一の古徳」と表現している。(s1041.06,h859.09,p280.02)そして、御書には、その著作の引用が多くみられる。

 ただ、「妙一女御返事」では、「安然和尚は安慧和尚の御弟子なり」(s1779.01,h1486.03,p1257.02)としているが、慈覚円仁の弟子とするもの、遍照の弟子とするものもある。この遍照とは六歌仙で有名な歌人のことで、桓武帝の孫だという。あるいは譲り弟子のような形で転移したのであろうか。

 ともかく、思想史上から上古天台を理解するには、この安然の理論を知ることがカギとなろうか。

■中古天台

 この中古天台に比定される時代は十世紀後半から十七世紀前半に至る六百年から七百年の間であり、その間、思想史的には、さまざまな転変があり、ひとくくりにしてしまうのは無茶があると思われるが、いわゆる天台本覚思想が盛んな時代ということで、このくくりが通用している。

 十世紀後半から十七世紀前半ということをもう少し分かりやすくいえば平安の院政期から江戸時代の元禄・享保の時代までにわたる。つまり、『御義口伝』が公刊された時代、大弐日寛の時代が、その最末に位置する。ということは、思想史的には『御義口伝』や日寛の「日蓮本仏論」は本覚思想のもっとも芳醇な最終の果実ということもできる。そこに本覚思想の強い色彩があるのは当然のことであろう。

 とはいえ、私は本覚思想の批判者ではあるが、思想史としての本覚思想の果実を総否定するものではない。なかんずく本覚思想との格闘のなかで誕生した果実はもっと丁寧に考察していかねばならないと考えている。

 ともあれ、この中古天台の時代を開いたのは、叡山中興の祖といわれる良源であろう。この人の弟子に有名な源信、覚運がいる。源信は恵心流の祖となり、覚運は檀那流の祖となり、この両派が競うようにして思想を深化させていった。それが本覚思想が六百年にわたって栄えたゆえんであろう。

 わが日蓮も思想史的にはこの流れの中に位置づけられる。日蓮とて歴史の中で超然としているわけではない。ただし、四条金吾宛の『煩悩即菩提御書』に恵心流、檀那流両派へのコメントがあるが、私はこの書を信用していない。
(改めて論述することにする)

 中古天台については、もう少し詳細に述べる必要があるが、いまは、あらましに止める。

■近古天台

 近世天台ともいう。江戸中期元禄・享保の頃、天台宗安楽派が戒律復興を提唱し、妙立慈山(1637〜1690)や、霊空光謙(1652〜1739)が中国趙宋時代の天台学(四明知礼=四明学派)を鼓吹するようになった。とくに霊空が『闢邪編』を著し、中古天台における観心主義や堕落した玄旨帰命壇を徹底批判したことによって、ようやく中古天台は終焉を迎えた。

 近古天台は四明学派の教学といわれる。四明学派の教学の特色としては円頓戒壇の否定がある。その面からいうならば、中古天台の終焉とともに、実質的には最澄以来の日本天台も滅んだといえよう。
                  初稿2007/03/16[k3885]

 なお、中古天台の時代区分とそれぞれの時代の特色をまとめたものが手許にあるが、先学の研究からの抜書きノートに過ぎず、ここに公開するのも躊躇するので、この分野における必須の参考文献を挙げるにとどめる。

----☆参考資料☆-----------------------------------------------------

島地大等著『天台教学史』隆文館 1929(1986)
田村芳朗著『鎌倉新仏教思想の研究』平楽寺書店1965
日本思想大系『天台本覚論』岩波書店1973(1995)
浅井円道著『上古日本天台本門思想史』平楽寺書店1975

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