ハンドルを使うという思想 二 2007/06/23★からぐらの風 #0012 --------------------------------------2007/06/23 ----☆ハンドルを使うという思想 二☆---------------------------------- 日蓮がいた中世という社会は、実名をあからさまにすることを忌み、専らハンドルが通用していた社会といえる。特に女性や子どもの実名が文の端に上ることはほとんどなかった。女性の実名を口にすることは、時に男女関係を意味したし、子どもの実名は憑依の恐れから避けられた。そのような常識からいうと、四条金吾宛という三通の手紙には疑問符がつく。 --------------------------------------------------------------☆☆---- 「月満御前御書」「経王御前御書」「経王殿御返事」の三通である。いずれも録外に属する書で上代の写本も伝わらない。ここに二人の子どもの名が出ている。月満については日蓮が命名者になっているが、当時、僧侶が子どもの名付け親になるという例があるのかということも不審なところである。 また、経王については、印東金吾の娘という説があり、積極的に四条金吾の娘であるという根拠は何も無い。むしろ、最近では四条金吾には子どもがいなかったという説の方が強いようである。それは、建治三年につけられる「四条金吾殿御返事」(不可惜所領事=真蹟断簡現存)に「とのは子なし」(s1362.10,h1162.01,p1163.17)とあるからである。この解釈に、「男子がいない」という意味だとするものもあるが、その根拠はうすい。女性に相続権がなかった後の江戸時代とは違って、当時の女子には相続権が認められていたし、女性が地頭職についた例もある。優秀な婿を迎えればかえって家は繁栄する。ゆえに女の子がいれば「子はなし」と嘆く理由は無い。 ともあれ、これに先行する「四条金吾女房御書(安楽産福子御書)」と含めて、これらの四通の手紙には疑問詞がつくことを認識しておいた方がよいだろう。ここでは、これ以上追求しない。 ところで、佐渡の日蓮に会いに行った日妙尼の娘を日蓮は「乙御前」(s1102.02,h899.02,p1222.07)と述べているが、この「乙御前」は、一般名詞で「末娘」「お譲ちゃん」「お嬢さん」といった意味で、固有の人名ではないと思われる。少し時代が下って室町頃の能・狂言では顔の醜い女の称(おとごぜ→おかめ)、女性への侮蔑語となっている。とても「乙御前」が固有の人名だとは思われない。 さて、ここで少し視点を変えて、最近注意を喚起されていることであるが、日蓮は夫と死別した女性信徒に呼びかける言葉として「後家」「後家尼」という言葉を決して使わなかったというのである。(この説の提唱者をご存知の方は是非、ご教示ください) さっそく、こちらでも調べてみたが、たしかに、真蹟や上代の古写本のなかには「後家」という言葉は見受けられない。ただ御書全集のなかに収録されたもので御書の題名に「後家尼」がついた書として、次のものがある。 松野殿後家尼御前御返事(盲亀浮木抄) 上野殿後家尼御前御返事(地獄即寂光御書) この名は文末の宛名から来てきるものであるが、その宛名は、後世に識別のために付加されたものであろうと思われる。 また、真蹟本尊には「後家」の文字が二例あるが、いずれも日興が識別のために付加したもので日蓮の文字ではない。 例外的に、日蓮門下の弾圧に奔走する権力者の女房たちを「後家尼御前」としている例がある。 「或は奉行につき、或はきり人につき、或はきり女房につき、或は後家尼御前等について、無尽のざんげんをなせし程に」報恩抄(s1238.05,h1029.17,p322.12) 「するがの国は守殿の御領、ことに・ふじなんどは後家尼ごぜんの内の人人多し。故最明寺殿・極楽寺殿のかたきと、いきどをらせ給うなれば」高橋入道殿御返事(s1089.04,h889.18,p1461.10) いずれも亡くなった夫の過去の権威権勢にすがって生きている人々であり、文字通り「後家尼」だったのである。 これとちがって、日蓮が女性信徒に期待していたのは五障三従の縛を断ち切って、精神的に自立して生きることであった。けっして夫の思い出と菩提の為にのみ生きる生き方ではなかった。 このことを端的に顕しているのが、夫人たちに呼びかける場合、夫の生前は夫の名を冠して「阿仏房尼」「こう入道尼」のように表記しているが、夫の死後は「後家尼」とせず、本人の法号を表記している。「千日尼」「是日尼」である。 また、高橋入道の妻への呼びかけも、夫の介護に専念している時は、「妙心尼」と呼び、夫が亡くなると「持妙尼」と改名し、自立を強くうながし、自立したあとは「窪の尼」と、それこそニックネームで呼ぶようになっている。 このような例は、岡宮の「妙法尼」、天津の「光日尼」においても窺われる。とくに夫や息子に先立たれて嘆き悲しんでいた光日尼が、夫や息子から精神的に自立したときに日蓮が送った手紙は、ほんとうにすばらしい。本当の人生勝利を歌っている。 「三つのつな(綱)は今生に切れぬ。五つのさわり(障)は、すでにはれぬらむ。心の月くもりなく、身のあかきへはてぬ。即身の仏なり。たうとし、たうとし」(s1795.03,h1497.03,p934.14) 中世の日蓮の眼にも「後家」「後家尼」などどいう言葉は、差別言辞だったのである。いわんや現代社会においてをや、だ。 以上、日蓮のハンドルの使い方にみえる日蓮の思想の考察とする。 --------------------------------------------------------------☆☆---- _/_/^/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/~/_/_/ (ー_ー).。o○ からぐら文庫 : http://www.ginpa.com/karagura/ お知らせブログ : http://karagura.exblog.jp/ 魯ひとへのメールは : https://sv21.wadax.ne.jp/~ginpa-com/cp-bin/phpformmail/ ●関連記事からぐらの風・indexへ | |