ハンドルを使うという思想 2007/06/22★からぐらの風 #0011 --------------------------------------2007/06/22 ----☆ハンドルを使うという思想☆-------------------------------------- PCの世界では、ハンドル(handle)という発想が不可欠なものとしてある。一般には、車のハンドル、取っ手、握り、取っ掛かりという意味で使われるが、この言葉には、別に、「名前」という意味もあり、あだ名、ニックネーム、最近ではネット社会での通称として使われることが多い。(ハンドルネームというのは重複呼称)。 じつは御書のデータベースや御書の研究の上でも不可欠の要素としてある。<からぐらシステム>では、とくに重要な要素となっている。今回は、この話題を提供しよう。 --------------------------------------------------------------☆☆---- PCの世界で、物件の識別に使われるのはIDと呼ばれる固有のナンバー、数字である。これが一番確実といえる。御書のデータベースでも、御書の一篇一篇に番号が割り振られている。<からぐらシステム>でもG番号がある。G0123 などというのがそれである。 御書の名前は、統一されているようでいて、じつは正式に統一されたものがなく、『御書全集』『昭和定本』『昭和新修』『昭和新定』『平成新編』『平成新修』など、諸本を比べてみると少しづつ違っていたりする。だから『御書全集』で使われている御書名で、例えば『昭和定本』のデータを検索してみるとヒットしないということが起る。 これは、御書研究という分野において、未だに統一した学会(アカデミー)がなく、それぞれの宗派でばらばらに名前がつけられているからである。ただ御書の学問的研究という分野では立正大学における蓄積が一番大きいこともあって、立正大学日蓮教学研究所の編纂になる『昭和定本』の通番が「定本ナンバー」と呼ばれ、「定本ナンバー」でもって、便宜的に諸本の対照対応がはかられている。 そういう比較対照の分野ではともかく、日常的に御書を読み、御書を文化や思想として研究しようとする者にとって、数字での識別というのは、はなはだ厄介であり、たとえば「第126番御書」などという名前では、そこにイメージを描くことは困難なことである。とは言っても、『御書全集』の世界だけでも、とくに消息文には同一名称が多く「四条金吾殿御返事」「南条殿御返事」「弁殿御消息」と言っただけでは、どの御書であるか特定できない。 また『御書全集』では「妙一尼御前御消息」という名称の御書は一点のみであるが、その名称からは、即座に内容までイメージすることは難しい。近似名称の「妙一尼御前御返事」との違いもわからない。 じつは、ここで威力を発揮するのが、ハンドルの発想なのである。 ここでは、御書の別名をハンドルとして使うのである。<からぐらシステム>では別名を登録してあるので、「煩悩即菩提御書」などの別名が分かれば、即座にその御書を呼び出すことができる。仮に別名がうろ覚えであったとしても、たとえば「四条金吾殿御返事」の名で呼び出せば、「四条金吾殿御返事」の名を持つ御書の一覧が別名付きで列挙されるので、「八風抄」なり、「智人弘法抄」なり、自分が必要とする御書を選び出すことができる。 また、「妙一尼御前御消息」か、「妙一尼御前御返事」かで迷ってしまう場合には、「妙一尼」の名で御書を呼び出すと「妙一尼御前御消息」(冬必為春事)、「妙一尼御前御返事」(信心本義事)の二つの御書が呼び出される。別名をみれば、自分が求めているはどちらであるか、即座に判断がつくと思う。 ところで<からぐらシステム>では、よく使われる別名は『御書全集』以外にも諸本にわたって拾っているが、基本に据えているのが、昭和40年代の終わり頃か、昭和50年頃に、細井日達師が法主当時の日蓮正宗宗門と創価学会の協議で制定された別名である。この「御書別名一覧」は『日蓮大聖人御書辞典』に巻末付録として載せられている。 この別名は概ねよく出来ていて、その御書の内容や特徴をうまく捉えている。(一部誤解にもとづく不適当な名称もあるが)ただ、残念なことに、その後の宗門と学会との大混乱のなかで、大石寺側も創価学会側も、双方ともに、この別名をほとんど使わなくなったという経緯がある。 使わなくなった理由は、単に反発によるだけでなく、かつての日蓮正宗という一宗の枠内で設定した名称であるので、宗派を超えた学術会議の席などでは使えないということのようである。 じっさい、正式名称ともなると、自分の所で所有する真蹟でもない限り、勝手に改名しても通用しないのは当然の話である。しかし、正式名称としてではなく、ハンドルとして使うということになれば、公式な認定にこだわることなく、使う側が定義し宣言すればすむことである。また、せっかくよく出来たものを面子にこだわって使わないというのも愚かなことだと思う。 このハンドルを使うことによって、私のところでは、ストレスなしに、即座に必要な御書を開けるので、本当に重宝している。また、ハンドルを使うという発想は、データベースだけではなく、論文などの執筆においても、論理を明晰にするうえで役に立つ。 例えば、「諸経と法華経と難易の事」「主君耳入此法門免与同罪事」など長い御書名を持つ場合、その名を繰り返し使うと、落語の「じゅげむ」ではないが非常に煩わしいばかりではなく煩雑なイメージができてしまう。といって、「本抄」や「当御書」などの代名詞では、複数の御書が入り混じる場合には、かえって混乱してしまう。 こういう場合には、ハンドルを使うのが一番すっきりする。「難易事」「与同罪事」の縮小形でもいいし、(難信難解法門)などの別名を使うのもよい。わたしが著書『日蓮自伝考』において「種種御振舞御書」に対して「御振舞抄」というハンドルを使ったのは、そのためである。 とうぜん「御振舞抄」などと言う名称は、広く認知されていないというご注意も受けた。しかし、自らの著作に、最初にこのハンドルを使うという定義と宣言をして使ったのであるから、それほど違和感なく読んでいただけたと思う。 ハンドルを使うということは、ごく自然な発想なのである。いうならば、ハンドルを使うという発想は、機械的な識別に対して、極めて人間的な事情から生まれたものといえよう。ゆえに、そこから思想が胚胎してくる。 ところで、御書を研鑽し、研究するこちら側の事情で御書の別名をハンドルを使うということとは別に、御書の主である日蓮はというと、やはりハンドルの発想を縦横に使っているようである。次回はそのことを検証してみたい。 --------------------------------------------------------------☆☆---- _/_/^/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/~/_/_/ (ー_ー).。o○ からぐら文庫 : http://www.ginpa.com/karagura/ お知らせブログ : http://karagura.exblog.jp/ 魯ひとへのメールは : https://sv21.wadax.ne.jp/~ginpa-com/cp-bin/phpformmail/ ●関連記事からぐらの風・indexへ | |