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御書の編年 2007/06/15





★からぐらの風 #0008 --------------------------------------2007/06/15
----☆御書の編年☆----------------------------------------------------

 現在、からぐらシステム、からぐらエディタへの要望として、強く寄せられているものに「編年インデックス」がある。御書をその作られた順序に配列したインデックスである。この要望はもっともなことで、いま開いている御書が、御書全体の流れの中でどの辺りに位置するのかを、即座に把握できるという利点がある。それは、御書の内容の理解の上で必要不可欠なことでもある。編年順に御書全編を通読したいという人も多い。

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 ただ、編年配列のためには、御書の系年研究という学問研究を踏まえねばならず、その研究、見解は学者によって、かなりの異なりがあり、様々な異見が提出されている。また研究の流れもはやい。いま現在という時点では、これが決定版であるという普遍的な編年は、作りがたいというのが実情である。

 もっとも、そのようなニーズにあわせて御書全集の配列を変えた『編年体・日蓮大聖人御書』というものもある。しかし出版年が昭和48(1973)年と古く、すでに30年以上前のものである。この書を最も熱烈に迎えた、そして読み耽ったのが魯ひとなどの世代であろうか。魯ひとは昭和43年から『御書全集』を読み始め、ほぼ十年単位で『御書』を取り替えているが、『編年体御書』は、二冊目として、昭和52年のあの熱い正月から使い始め昭和62年ごろまで使った。常に持ち歩いていたから、いつしか表紙がなくなり、角がとれて手垢と空気で丸く膨れ上がっている。

 しかし、十年使って、編年が編年として意味をもたなくなった。その編年配列が自分の系年認識と大きく異なりだし、かえって使いづらいものになった。それで『編年体御書』の使用を中止し、第三冊目は、以前と同じ『御書全集』に変えたという経過がある。つまり、近年の研究成果と齟齬する古くなった編年配列では、はかえって使いにくいという結論なのである。

 それが自らが作成にかかわったデータベースに編年インデックスを作らなかった理由である。もっとも、それが自分の怠惰な言いわけでなかったとはいえない。しかし、御書の系年研究は人一倍やってきたつもりであるし、自分の系年研究の成果は、著作や私家本の『日蓮大聖人詳註年譜』という形で公表してきた。去年の春、その『改訂版』を出し、今回のからぐらエディットの公開を機縁として『改訂第三版』を出すことになった。

 もっとも、その間、怠惰な魯ひとに代わって、からぐらエディットのユーザーさんが暫定的な編年インデックスを作ってくれていた。この辺りが「からぐらシステム」の優れたところで、ユーザーが自らの研鑽ニーズと研究成果にそって、どんどんカスタマイズできることである。このユーザーさんの作ったインデックスもけっこう使われていたということである。

 しかし、それでも、魯ひとに「編年インデックス」を作れという要望が再び強く出されたので、このさい、重い腰を上げて魯ひと版の「編年インデックス」を作ることにした。ただ、「編年インデックス」といっても、機械的に配列を変えれば済むというものではない。御書はすべて有機的につながっており、一つの位置をかえれば、当然他に影響をおよぼす。インデックスは、その性質上、もっともシンプルなだけに、見る人が見れば、そのインデックスから、その『遺文集』なりデータなりが抱えている編集上の矛盾や問題点が浮かび上がってくるのである。

 『御書』『遺文集』というものの編纂者の力量は、そのインデックスをみれば、おおよそ分かってしまう。やっつけ仕事でやったものならすぐに分かってしまう。言い換えれば、魯ひとが独自のインデックスをつくれば、魯ひとの力量など、底の底まで見透かされてしまうということである。躊躇するのはこの辺にも理由がある。

 しかし、自らフリーを名乗って、自らの見解を披瀝していく以上、自らを飾ってもしようがない。むしろ丸裸でぶつかっていく方が読者の信頼を得られるかも知れない。そのように思う。そして、大方の遠慮ないご批正を期待するものである。

 なお、近年には、たくさんの『御書』や『遺文集』が出版されている。春秋社の『日蓮聖人全集』、日蓮教学研究所がかかわった『平成新修』、大石寺の『平成新編』『平成校定』など、おおむね編年体になっている。魯ひとが、それらのインデックスのどこに注目しているか、機会を見つけてこのレターで、魯ひとの視点を公開していくことにしよう。

 まあ、ありていに言えば、カギになるいくつかの御書がある。それがどのように扱われているかみれば、その『遺文集』の性格が見えてくるということである。誤解の無いように補足して言えば、魯ひとの視点は決してあら探しには無い。それがどこの寺や団体の出版物であっても一冊の『御書』、一冊の『遺文集』を世に出すためには、それこそ血のにじむような努力がなされているものだからである。

 そういった先人たちの努力の上に立って、ものを言うのは、いとたやすいことである。しかし、易きに流れると、人のこころざしが細ってしまう。用心、用心。

 とりあえず、からぐらシステムの公開に先立って、
 魯ひとの編年インデックスを提示したい。切に、ご批正を。

http://www.ginpa.com/soko/hennen.LZH


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    ----☆お勧め書籍☆

     御書編纂のこころざしの尊さと労苦を知る書として、次の書をお勧めする。
     稲田海素『日蓮聖人御遺文対照記』明治40年、平楽寺村上書店
         近年、復刻されているようである。



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