言論の媒体 2007/06/10★からぐらの風 #0007 --------------------------------------2007/06/10 ----☆言論の媒体☆--------------------------------------------------- 自らの思い、自らの声を言論として、世に問うていくためには、自らの思索と言葉の修行はもちろんとして、やはり、どういう媒体を利用するかということも重要な問題ではある。中世の日蓮においてはもっぱら手紙であった。また、日蓮ほど手紙の効用を知り、言論として活用した人はいない。 --------------------------------------------------------------☆☆---- ただ、日蓮の手紙の効用について指摘する人は多いが、ではその手紙が当時の信徒の間でどのように扱われ、活用されたのかということについては、具体的なことは案外研究されていない。信徒の間で回覧され、まわし読みされたという話もあるが、日蓮自身が指示した例を除いて、そう回覧された形跡は見えないのである。 一般的にいっても手紙は個人的なあるいは私的な事柄に触れられており、当事者の同意がなければ、回覧は難しいだろう。むしろ、私的な故に秘蔵され、当事者の没後になって公開されたものの方が多いのではないだろうか。そういう意味で、御書が滅後百年、二百年たって初めて世に出てくるということは自然なことだと思われる。 また、日興や富木常忍が日蓮の書を御書と名づけて大切にしたことは有名であるが、その反対に『富士一跡門徒存知事』にみえる「諸方に散在する処の御筆は或はスキカエシに成し或は火に焼き畢んぬ」というような事実がじっさいにあったのか、どうなのかということが学者の間で問題にされている。今日現存する御書の多さから言って、そういうことはありえないというのである。 しかし、日興の御書を後世に残そうとする営為には、ある種の悲壮感さえ感じられ、そのような事実がなかったとは言い切れない。少なくとも、それが一般的な風潮ではなかったにしろ、日興が受けた報告のなかに具体的な事実があったとみてよい。まして上代では学問のあり方は天台の典籍の学習が主になっており、日蓮の「かな文字の書簡」を宝物として大切にしても、学問の上で軽視していた事実は否定できないだろう。焼却云々は上代においては無かったとは言い切れない。 歴史的にみるならば、かな文字の書簡が布教手段として積極的に活用され出すのは、もう少し時代が下って室町時代の本願寺蓮如のころのように思われる。ご存知のように蓮如が各地に出した手紙は「御文」と称されて、門徒の手で積極的に回覧され、複写されたのである。それが一向衆の形成に大きく寄与したことは歴史教科書にも載せられる事実である。 何ごとにせよ、先覚者の営為が評価されるまでには百年、二百年はかかるのかも知れない。 ともあれ、近代に入って、言論の媒体は書簡から、新聞・雑誌といった印刷物へ大きく変化していった。 そのために、たくさんの新聞や雑誌が創刊され、またつぶれていった。つぶれてもつぶれても、声あるところ、思いの溢れるところ、ペンの活動は続いた。それを下支えしていたのが、万年筆であり、謄写版であった。 思えば、この謄写版によって、どれだけの文集がつくられ、詩集が作られ、新聞が作られ、雑誌が作られたことであろうか。まさに本当の言論は体制翼賛の大新聞ではなく、無名の人々が鉄筆で蝋紙にガリガリ、カリカリと書き綴った謄写版印刷にあったのだ。 謄写版印刷は、私たちの青年時代の初期においても重要な媒体であった。私も盤古の謄写版を持っていた。これで自らの詩集を作ったし、雑誌を作った。しかし、ワープロの登場によって、謄写版は急激に姿を消した。私も、まだ金になるうちにと急いで古物商に売りに行ったほろ苦い思い出を持つ。 そうして、ワープロからパソコンの時代になり、インターネットの時代になった。しかし、この時代における言論の媒体の寿命は意外に短いように思われる。ひところはネットの掲示板では、にぎやかな論戦が展開されていた。これが言論の定番になるかと思われた。しかし、やがてメーリングリストの時代になり、急速に質の高いものはネットの表面から消えていった。そうして今は、ブログの時代だとも言われる。 しかし、人々の流れは速い。人気を博す有名なブログもすぐ飽きられる。こんななかで硬派の言論を息長く続けていくことは至難の業であろう。しかし、私は人は人として「こころざし」を持つならば、言論を止めてはならない。言論の場から離れてはいけないと思う。 なんども、なんども仕切りなおしをしながら、私は言論活動を続けていきたい。自らの思いといい、声といい、文といい、それを伝えるためには、やはりその媒体に心を砕かねばなるまい。新しい道に踏み出した弁である。 「然れどもいまだこりず候」(s1255.07,h1040.09,p1056.13) --------------------------------------------------------------☆☆---- 皆さまへ からぐらエディットの公開に、意外と手間取っています。 次々と、新しい案件が持ち上がって、息つく暇がありません。 そのためにニュースレターの発行が滞ってしまいました。 しかし、週一回の線は、なんとか守っていきたいと思います。 _/_/^/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/~/_/_/ (ー_ー).。o○ からぐら文庫 : http://www.ginpa.com/karagura/ お知らせブログ : http://karagura.exblog.jp/ 魯ひとへのメールは : https://sv21.wadax.ne.jp/~ginpa-com/cp-bin/phpformmail/ ●関連記事からぐらの風・indexへ | |