再読『滝泉寺申状』 2007/05/29★からぐらの風 #0005 --------------------------------------2007/05/29 ----☆再読『滝泉寺申状』☆-------------------------------------------- 現在進めている考察のなかで、『滝泉寺申状』がカギになることに気がついて、『滝泉寺申状』を再読した。日蓮教学研究所が関わった近年の編纂になる『平成新修』と大石寺の『平成新編』の両本を比較しながら、何度も読み返したが、両本とも何度読んでもしっくりこない。やがて両本に根本的な誤読があることに気がついた。もっとも、これは我が「からぐらデータ」も同列である。 (これは、からぐらML[3904] 2007/03/30 の記事の再録である。ML時代からの読者にとっては重複になるが、あらためて、ニュースレターとし一般に公開する) --------------------------------------------------------------☆☆---- そこで真蹟対照録をたよりに真蹟写真を参照しながら、テキストを作り直した。皆さまのさらなるご批正をお願いしたい。 http://www.ginpa.com/soko/ryusenji.LZH まず、この御書は、弟子たちがまとめた「陳状」(弁明書)の案文を日蓮が加筆し、添削したものである。したがって「申状」(意見具申書)という名称は妥当ではない。(なお「陳状」と「陳情」を混同している人がいるが両者は全く違う意味である。『頼基陳情』などと書くのは間違いである) しかも、この「陳状」は、最終的に幕府には提出されなかったことも念頭に置いておく必要がある。 このような性格を踏まえて本書を考察するとき、最も大切なことは、弟子たちがまとめた文章を、師匠たる日蓮がどのように添削し、いかなる事を加筆したかということである。 したがって、従来の諸テキストのように、そのような情報を消してしまって一本の完成された「陳状」に仕立て上げてしまっては意味がない。弟子が書いた文章と日蓮が加筆した文章は明確に区別されるべきであるし、日蓮が添削した部分も、どの表現をどのような表現に変えたのかを明示する必要がある。 次に、大石寺の『平成新編』本で一番大きい問題点は、真蹟の第十一紙と裏面にある文末加筆文を本文内に挿入しているが、その挿入位置と判断が妥当性を欠いていると思われることである。 文末加筆文とは、次の文である。(御書全集には不載) [法華三昧の供僧和泉房蓮海、法華経を柿紙に作して紺形に彫るは、重科の上、謗法なり。仙予国王は閻浮第一の持戒の仁、慈悲喜捨を具足する菩薩の位なり。而も又師範なり。然りと雖も法華経を誹謗する婆羅門五百人を頭を刎ね、其の功徳に依て妙覚の位に登る。歓喜仏の末、諸の小乗・権大乗の者、法華経の行者覚徳比丘を殺害せんとす。有徳国王は諸の小権法師等を、或は射殺し、或は切り殺し、或は打ち殺して迦葉仏等と為る。戒日大王・宣宗皇帝・聖徳太子等は、此の先証を追つて仏法の怨敵を討罰す。此れ等の大王は皆持戒の仁にして善政未来に流る。今日、行智の重科は脱るべからざるなり。 然りと雖も日本一同に誹謗を為すの上は、其の子細、御尋ねに随て之を申すべし。] 『平成新編』では、この文を頭の「法華三昧の供僧和泉房蓮海、法華経を柿紙に作して紺形に彫る」と類似の表現がある本文「凡そ行智の所行は、」の下「法華三昧の供僧・和泉房蓮海を以て、法華経を柿紙に作して紺形に彫る」の差し替えとみなして、置き換えてしまったのである。(平成新編1403.11) しかし、文末加筆文を差し替え文とみなす根拠はどこにもない。 そして、それをここで妥当性を欠くという理由の一つは、本文「凡そ行智の所行は、」と文法的に繋がっていないことである。「…は、…は、…なり」の二重主語になっている。 もう一つの理由は、そこに挿入することによって文脈が崩れていることである。本来ここの文脈は「凡そ行智の所行は、」で行智の所行を列挙して糾弾するところである。列挙項目は八項目にわたる(数え方によっては十五項目)。ところが『平成新編』のように差し替え挿入をやると、第一項で悪行に対するコメントを行い、コメントのあとでまた残りの七項目を列挙するという、実にすわりの悪い文になってしまう。 しかし、文末加筆文は、その内容から、行智の悪行(八項目)全体へのコメントと思われる。第八項は、寺の池に毒を流して魚をとり村里で売りさばいたことであるが、その後で、その悪行に対する慨嘆の言葉があるから、挿入されるべき位置は、その慨嘆「悲しみても余り有り」の後と考えるのが妥当であろう。 そして挿入コメントのあと、「此くの如き不善の悪行、日日に相積る」からは、幕府の公平な沙汰を望む段落へ移行すると考えれば、この陳状全体のメリハリがすっきりし、論旨が明快になるのではないか。陳状の生命線は論旨の明快さであろう。 なお、これは、論理的判断だけではなく、真蹟をみると第十紙の上部に十一紙の方から墨で線が引かれており、その線は、今回、挿入位置と判断した行の真上で止まっている。これは文末加筆文を、その位置に挿入することを指示したものと思われる。具体的なことは使者を通して口頭で伝えられたものであろう。 あと幕府への提出文書ということで原文は漢文になっている。それを読み下す上で、文のメリハリ、言い切るところ、流すところなどの細かいブレが気になったので手を入れた。 例 文を句点で分けた。 聖人頭に疵を負い、左手を打ち折らるるの上、両度まで遠流の責めを蒙り、門弟等所所に射殺され、切り殺され、殺害・刃傷・禁獄・流罪・打擲・擯出・罵詈等の大難、勝(あ)げて計うべからず。 ↓ 聖人は頭に疵を負い、左手を打ち折らるるの上、両度まで遠流の責めを蒙むれり。門弟等は所所に射殺され、切り殺され、殺害・刃傷・禁獄・流罪・打擲・擯出・罵詈等の大難、勝(あ)げて計うべからず。 例 言い切り「れり」を流した。 「現罰眼を遮れり、後賢之を畏る」→「現罰眼を遮り、後賢之を畏る」 例 表記のメリハリのため仮名の「置字」をほどこした。 「抑大覚世尊」→「抑も大覚世尊」 「粗伝承する」→「粗ぼ伝承する」 「凡行智は」 →「凡そ行智は」 例 一般的に、漢字は現代漢字とした。代用字は正字に変えた。 鑒 →鑑 未萠→未萌 薗城寺→園城寺 崛→屈 例 日蓮の使っている用字に戻した。 「並びに」 →「并に」 その他、略す。 最後に、従来、難読文字として、文末に□□と表記されていた文字 「今行智重科不可□□」は「不可脱也」と判読した。 当該箇所は第九紙の裏面にあり、表の文字がにじみ出ており、干渉しあって難読ではあるが、「脱」の字ははっきりと読み取れる。最後の一文字は剥落か、もしくは湿気のために流失したものと思われ、ほとんど空白に近いが、次の行は、それまでの文章を受けて、弟子に指示を出している。となれば、前行はひとまず閉じてしまう必要があり、そこは文章を閉じる文字「也」と判断するのが妥当であろう。 従って、この箇所を「今、行智の重科は脱るべからざるなり」と訓読したい。 この文は、「本主此の重科を脱れ難からん」と対応しているものである。 なお中ほどの難読箇所「□戒の御沙汰無からんや」は、「重戒」、「厳戒」と推測されるが、今は推測に止まる。 ●関連記事
去る三月三十日のからぐら[3904] で「再読『滝泉寺申状』」というタイトルで 滝泉寺申状を取り上げたばかりであるが、興風談所の4月のコラムでも「日本語は難しい2」として『滝泉寺申状』の読解の問題を取り上げている。 http://www5f.biglobe.ne.jp/~goshosys/colum_ft.html 筆者は山上弘道師。彼が取り上げたのは、日蓮の挿入指示である「日秀等を刎頸に擬する事を、此の中に書き入れよ」という文。半ば意味不明であり、魯ひとも読解に随分苦しんだ箇所である。それに見事な解明を与えている。 また、堀日亨師が『御書全集』853頁において、「日秀等に頸を刎ぬる事を擬して、此の中に書き入れ」とした認識の背景も明らかにしており非常に興味深い。 山上師が注目したのは真蹟に日蓮が付していた挿入箇所を明示する○印であった。そしてその指示が、直接的には、「去ぬる八月弥四郎坊男の頸を切らしむ」という文にかかっていることを確認したのである。 残念ながら、私の所持している真蹟写真では解像度が悪くて、その○印が○印として十分に確認し難い。今回その箇所の拡大画像をアップしてくれたのはありがたい。 ともあれ山上師の結論は、「下方政所代が行った法華衆弥四郎坊男の斬首は、実は彼らに法華信仰を勧めた帳本の日秀等の斬首になぞらえたものであり、見せしめの意味でなされたもの、ということであり、宗祖は『去ぬる八月弥四郎坊男の頸を切らしむ』以下に、その事実と不当性をしっかりと明記せよと指示された、と解するのが妥当と思われるのである。」としている。 ただ山上師は理解を正しながら、「日秀等の刎頭に擬する事を此の中に書き入れよ」という近来の諸本が採用している訓読そのものには手を入れなかった。 しかし魯ひととしては、そこまで理解ができたのであれば、もう少し分かり易い訓読にできないものかと考える。文法に注意して魯ひとが作った訓読文は、「日秀等の頸を刎ぬるに擬せる事を、此の中に書き入れよ。」まあ、訓読としてはこれが精一杯かな。 そして、その日蓮の指示通りに、もし仮に、文章を直截的に完成させるとするならば、「去ぬる八月、弥四郎の頸を切らしむ。これ日秀等に擬して頸を刎ぬるなり」 あるいは、もっと丁寧に「去ぬる八月、弥四郎の頸を切らしむ。これ日秀等に見せしめんがため日秀等に擬して無辜の百姓の頸を刎ぬるなり。無残というばかりなし」 などの文が考えられようか。 なお、原文は次のようになっている。 「政所代去四月御神事之最中 法華經信心之行人令刃傷四郎男去八月令切弥四郎男之 〈日秀等拱(→擬)刎頭(→頸)事此中書入〉 頸o以無智無才之盗人兵部房靜印取過料」 山上師が指摘するように、四郎男や弥四郎男の頸を斬ったのは政所代であることを考えれば、これは暗殺ではなく処刑ということになる。堀日亨師が描いたように祭りの雑踏の中のドサクサに四郎男が斬られたのではなく、人々が集まる祭礼を利用して、日秀たちへの見せしめのために公開処刑をやったものと思われる。 四月は田植えの関わる祭り、八月は取り入れに関わる祭り。その祭りの人出を狙って公開処刑をやったのである。(ただし、このあたりの解釈は異論の余地が多くある。再三再四の考察が求められよう) いつまでも堀日亨師の『熱原法難史』の世界に泥んでいては、見えるものも見えない。 ※ 堀慈琳著『熱原法難史』雪山書房 大正11年10月13日刊。 からぐらの風・indexへ | |