『上行菩薩結要付属口伝』は偽書 2007/05/27★からぐらの風 #0004 --------------------------------------2007/05/27 ----☆『上行菩薩結要付属口伝』は偽書☆-------------------------------- 以前、『撰時抄』の研鑽のなかで、関連する御書をも総ざらえして検証したが、そのなかで、奇妙なものにぶつかってしまった。日蓮の御書と伝えられるものに『上行菩薩結要付属口伝』があるが、「口伝」などとあって以前から何となく胡散臭いものを感じていたが、詳細に調べると、やはりとんでもない問題を抱えていたのである。 --------------------------------------------------------------☆☆---- 『上行菩薩結要付属口伝』(s2325.11,h939.14,p538.04)は、前半は、法華経の要文及び天台の経釈を列挙する要文集になっている。この間、日蓮の独自の見解は一切述べられていない。 ところが、独自の見解が展開される後半の「夫れ仏滅度の後、二月十六日より正法なり」から終りまで、詳細に比較してみると、全文、『撰時抄』の文を細断し改変したものであることがわかる。これはどういうことであろうか。 撰時抄・上行菩薩結要付属口伝 比較一覧 http://www.ginpa.com/soko/jyogyo.LZH はじめは、『撰時抄』の文を要約しているのかと考えたが、そうではなく、『撰時抄』の文を細断して、前を後につけ、後を前に付けといった操作をしているのである。特に文末に『撰時抄』の冒頭文を置いているのが目を引く。 日蓮は、こういうあり方を、『守護国家論』『開目抄』『立正安国論広本』『諌暁八幡抄』等で繰り返し『涅槃経』の文を引いて弾呵し、注意を喚起している。 「前を鈔(とっ)て後に著(つ)け、後を鈔(とっ)て前に著け、前後を中に著け、中を前後に著けん、当に知るべし、是くの如きの諸の悪比丘は是れ魔の伴侶なり」(T12-p0422a) 『撰時抄』は、日蓮自身によって何度も手を入れられており、その執筆には随分神経が使われている。また、『撰時抄』などの日蓮の重要な著述は、大きくは標釈結という論理構造をもっている。その論理構造を無視して、単純に並べ替えられるものではない。 ゆえに日蓮自身が『撰時抄』の冒頭の標示部を別御書の文末につけるようなことは、ありえないのである。 次に、『撰時抄』と『上行菩薩結要付属口伝』の相互の文章の違いについて、『撰時抄』異本を用いた可能性をも検討したが、『上行菩薩結要付属口伝』は、単純に文章を縮めているだけで、日蓮が『撰時抄』で説こうとした心が飛んでしまっている。従って異本によって生じた違いとは見なされない。 特に、『上行菩薩結要付属口伝』で唯一、『撰時抄』より文章を膨らませているところは、文末につけた『撰時抄』冒頭文といえるが、ここでは『撰時抄』が「時をならう」としているところを、『上行菩薩結要付属口伝』では佐渡以前から使われてきた「時を知る」という古い表現に逆行させている。「時を知る」は佐渡以後も使われるがあえて『撰時抄』と題し、「時をならう」とした『撰時抄』の現文を使いながら、そのように改変してしまう意図は何なのか。 たしかにこの『上行菩薩結要付属口伝』は、要文集として使えば便利だし、特に『法華経』の法理に反することを書いているわけではない。しかし、これは、『撰時抄』の心を壊すことにならないだろうか。私は、『撰時抄』を渇仰する上から、このような書を御書として受容することはできない。 ところで、偽書説を提出するためには、偽作動機を明らかにする必要があろう。文を読む限り、どこか特定のの門流に有利な文言はない。しかし、とくに信仰を喚起する要素もない。教学的に新たな深い見地もない。むしろ、この偽作は高僧の劣心から起こったことではないだろうか。 錦の袋に入れて「口伝」と称して弟子に与え、代わりに供養金をせしめたものではないだろうか。偽作動機は金銭。弟子は、上行菩薩に関するの要文が列挙されていることから、本物と思い込んだものであろうか。 (しかし、おそらく弟子もタヌキだったと思う。ネットで、御書の偽筆のオークションを見たことがある。傍から見ていると明らかに偽筆なのであるが、参加者は熱くなっている。しかし、からくりが分かってきた。オークション参加者も偽物と承知で大枚を出しているようである。偽物でもよくできた偽物は商売になるということであろう) また、後半の文体も日蓮の常の文体と同じであるということで、後世の学者も騙されたということであろう。 そういうことは、 文体が同じである →ほんもの 文体がちがう →にせもの という図式的、機械的な論議はダメだということでもある。 昔、文部省のきもいりで、伊藤瑞叡氏たちが『三大秘法抄』の用語をコンピューターで分析したということが話題になったことがある。コンピューターを使ったことはともかく、分析の方法を見ていると、問題が多すぎる。サンプルのさじ加減で結果はどうにでもなろう。まして伊藤氏の著作をみると「三大秘法抄は日蓮の真撰でなければならぬ」などという予断や宗派的意図が最初から見えており、そんなことで真実の証明は絶対にできないと考えている。 ともかく『上行菩薩結要付属口伝』は、信心を喚起しないどころか日蓮の心、『撰時抄』の心を破っている。だから「魔の伴侶」というのだと考える。 ●関連記事
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