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第61号 信仰心の蒸発
【2008/03/26】 一部の知識人の間で、ブッダは信仰を説かなかったとか、信仰を否定したという議論がある。この議論の多くは、たとえば中村元氏が、『スッタニパータ』の1146番偈の訳出で「信仰を捨てよ」という表現を使ったこと、およびその解説文に端を発しているようである。ブッダは信仰を説いたのではなく哲学を語ったのだと。
中村元氏の真意がどこにあったかは分からないが、このような議論は理に合わない。
第60号 実りある対話のために
【2008/03/19】 おかげさまで当レターも60号となった。こうした文章が綴れていくのも、読者の皆さまの触発のおかげである。また、読者がいればこそ、書き続ける励みにもなる。あらためて御礼申し上げたい。ということで、今回は対話について述べてみたい。対話の良さは、立場や意見の違う者の出会いによって認識が深まったり、新しい認識が生まれるところにある。だから対話を論理学で弁証法ともいう。仏法でいう縁起もまた弁証法であり、対話の原理である。
第59号 さらに霊鷲山
【2008/03/17】 もう少し霊鷲山にこだわってみよう。そしてショペン氏の説(第55号参照)に対して魯ひとは少し修正を加えたいと思う。ショペン氏は大乗仏教が起こったのは僧院の中としたが、しかし内部で争っている間においては、それはまだ部派仏教の内部矛盾でしかなかった。大乗仏教の誕生は、その僧院を退出して山林を目指すというその行動にこそあったと思われる。その行動によって質的転換、質的昇華が起こったのである。
第58号 そして大乗のこころ
【2008/03/16】 前57号のつづき。「僧院を退出して山林へ」という呼びかけは、法華経にも散見される。それが「ブッダの心に帰れ」という運動だったことは前号で述べたとおりである。その場合、大乗派の人々が捉えた「ブッダのこころ」が取りも直さず「大乗のこころ」「大乗の原点」ということになる。では彼らは、ブッダのどこに大乗の原点を見ていたのであろうか。それは法華経方便品のなかに極めてストレートに表現されている。
第57号 なぜ霊鷲山なのか
【2008/03/14】 「釈尊は最後の八年間に霊鷲山で法華経を説きました」という話を、法華経を信じる知識人の中でどれくらいの人が信じているであろうか。そのような統計はどこにもないが、おそらく「大乗非仏説」は受け容れざるを得ないというのが本音のところにあると思われる。しかし、もう一面、法華経が訴えかけるもの、および日蓮の生き方から、法華経に否定できない「真実」を強烈に感じていることも事実であろう。
第56号 大乗仏教と山林
【2008/03/12】 前(55号)回では、大乗の興起について述べたが、いろいろ賛否両論の反響があった。お声はお声として拝聴したいと思う。魯ひととしては、ここで読者と論争をするつもりはないが、大乗仏教のその後の歴史ともからめて、魯ひとの見解を補足しておきたいと思う。私が平川彰氏の説をとらない理由は、その後の大乗仏教の展開を考えるとやはり不自然だと思うからである。
第55号 大乗の興起と流転
【2008/03/10】 古代インドにおける大乗仏教の興起と流転に関しては、依然として謎が多い。今日一般には平川彰氏の唱えた仏塔信仰と菩薩ガナの存在についての仮説が説明として用いられているが、必ずしも普遍的な説得力をもたない。とくに大乗仏教がインドに大きく広がったという物的根拠がなく、大乗仏典を読んで感じる印象からも、インドでは少数派に過ぎなかったのではないかと思われる。
第54号 「不軽菩薩」再考
【2008/03/07】 日蓮の修行観は不軽菩薩の実践に尽きると言ってよいと思う。「一代の肝心は法華経、法華経の修行の肝心は不軽品にて候なり」(s1397.04,h1174.12,p1174.14)
この不軽菩薩について、通途の解釈ではなく、日蓮に即して、経典に即して考えてみると新たな感興を覚えるのである。
第53号 『ブッダと龍樹の論理学』
【2008/03/01】 日蓮の著作(疑書含む)の中には龍樹の主著である「中論」については、ほぼ二十箇所にその名がみえる。「大智度論」の引用となると魯ひとのカウントでは88箇所におよぶ。龍樹は、日蓮を学ぶ上において無視できない大きな存在といえる。ただ日蓮が直接論じていたのは天台智ギであって、龍樹と四つに取り組んだのは、むしろ、その天台智ギであった。「摩訶止観」の論述は「中論」をベースにしている。
第52号 自立と縁起
【2008/02/29】 明日からは春三月。近隣の学校から卒業式の案内状が届く。この時期よく語られるスピーチに人の字の成り立ちに関する俗解がある。「互いに依り合って生きているのが人だ。人は一人では生きられない。人間関係を大切に」と云々。あまりよくできた話ではない。この話がまた仏法の無我と縁起の説明に転用されると、なお厄介なことになる。
第51号 「世間の事法」
【2008/02/27】 前(50)号を投じた直後、「しまった!」と思った。間違えたということではない。あの文章を「白米一俵御書」で閉めてしまえば、韜晦とも受け取られかねないからである。誤解を呼ぶ可能性は少なくない。じっさい、外道即仏法、仏法即世法とし、法華経に縁しさえすれば、何でもよしとするならば、それこそ思想の根腐れ、精神の堕落以外の何ものでもない。
第50号 仏法は道理
【2008/02/26】 仏法は道理であり、普遍的なものである。もし、道理に反することがあれば、たとえそれがブッダの言であろうと、日蓮の文であろうと、誰の説であろうと用いてはならない。このことは日蓮自身が明言していることである。それゆえに日蓮の御書には一定の安心感があるといえる。しかし、日蓮の御書として伝えられるものの中には疑問を感じてしまうものもある。そういう時は、道理と論理の上できちっと分析すべきなのである。それこそが日蓮の本意に適うあり方であろう。
第49号 虚構と真実
【2008/02/22】 日蓮のいた中世社会においては、『源氏物語』の知識がインテリたちの必須の教養となっていた。と同時に、『源氏物語』を書いた紫式部が地獄に堕ちたという話が広く語られていたようである。じつは、このことが日蓮と法華経を考える上で、重要なヒントを提供してくれる。
第48号 善知識について
【2008/02/18】 仏教用語の「善知識」が良き友のことであることは、比較的よく知られている。法華経などでは、そのまま「善友」と表記していることろもある。では、どんな人を良き友とするのか。天台智ギは、摩訶止観で興味深い分析をしている。
まずは冒頭の一文。「善知識とは、これ大因縁なり、すなわち化導して仏に見ゆることを得せしむ。阿難は『知識は、得道の半ばの因縁なり』と説き、仏は『まさにしかるべからず、全因縁を具足す』とのたまえり」(T46-p043a)
第47号 直説と解釈と
【2008/02/15】 日蓮の思想を学び(ここは信仰を学ぶ場ではない。それは魯ひとの任でない)、普遍性を獲得してゆこうと思うならば、何が日蓮の直説であり、何が後世の解釈に属するものなのかを立て分けることが必要だろう。なぜならば解釈は、場とともに、時代とともに変わって行くものだからだ。また変わって当然なものである。しかし、直説の部分は変えてはならない。そこを変えればもはや日蓮の思想ではなくなるからである。
第46号 「紙墨もて伝持す」
【2008/02/14】 前45号のつづき。「耳根得道」など、現代に説得力を持つとは思わないが、この発想のもとになったと思われる考え方は『法華玄義』に記されている。さっそく、読者からご教示があった。読者のなかには素晴らしい学究がたくさんおられるので、大変心強く思っている。
この『法華玄義』の当該箇所のいわんとすることを、一言で言うならば、法は言葉によって伝えられるということではないだろうか。
第45号 耳根得道ということ
【2008/02/13】 今まで仏法を学んできた中で、いささか違和感を感じる教義も少なくない。だからといってそれを強調して回りと諍いを起すつもりはないが、ただ私はそのような違和感を自分の中で封じることなく、なぜかという問題意識は大切にしてきた。そして自力で解決すべく努めてきた。その中のひとつに「耳根得道(にこんとくどう)」がある。その意味を簡単に言ってしまえば、私たちはお題目の音声を耳で聞くことによって成仏できるという考え方である。
第44号 「進退惟れ谷まれり」
【2008/02/12】 レター42号に関して、読者より異見が寄せられている。大変ありがたいことで、触発されて、さらに思索を進めることができた。直接メールでの応答をも考えたが、公開した文章に対するコメントなので、ここで応答した方が誤解がなくてよいと思われる。異見というのは、私の「絶望」という言葉の使い方に関するものである。
第43号 朋あり遠方より来る
【2008/02/08】 学問している者の喜びのひとつは、何と言っても、同学の朋が遠方より尋ねて来てくれた時のことだろう。相手が若い人なら、世代の違う発想を知ることができて楽しいし、同世代の人なら、すぐに意気投合してしまって時間を忘れてしまう。
こういう出会いには構えがない。こちらも普段着だし、仕事着のままということも多い。
第42号 言葉は信頼できるか
【2008/02/06】 前(41)号で法華経や日蓮には「言葉というものへの全幅の信頼があった」と書いたら、予期せぬ反響があった。物書きにとって嬉しい一瞬である。それは、法華経は「言葉では真実を語れぬ」という立場にあるのではないかというものである。じっさい、それらしき文言は法華経の中に何度か出てくる。
果たして法華経が言葉に絶望しているか否かについては、法華経学者の見解も聞いてみたいと思うが、いまはもう少し愚見を述べてみたい。
第41号 「唯仏与仏」のパラドックス
【2008/02/04】 法華経での釈尊の説法は方便品から始まるが、開口一番、釈尊は説法を止めると言い出す。なぜかというに、根本の真理は仏と仏にしか分からないというのである。仏ならざる聴衆としては面食らってしまう。
日蓮の説法も同じである。おそらく立教後最初の著作と思われる「一代聖教大意」には「此の経は相伝にあらざれば知り難し」と述べてある。相伝などと縁遠い一般大衆としては、やはり面食らってしまう。
第40号 逆転した認識
【2008/01/31】 女性を差別した表現として「五障三従」という表現がある。女性をことさらに業が深いとしたものである。しかし、このような認識は日本古来のものではなく、ほかでもない法華経の流布によって広められたものである。「五障」を説いたのは法華経であり、「三従」を説いたのは華厳経であった。
もちろん法華経が「五障」を説いたのは、「五障」を否定するためであり、それによって女性の即身成仏を強調する狙いがあった。しかし、歴史的には女人成仏より「女性の業の深さ」がより強く焼き付けられることとなってしまったのである。
第39号 正座の習慣について
【2008/01/04】 読者の皆様、お年賀ありがとうございました。
信仰というものは、まず坐ることから始まる。対話ということも、また坐ることからはじまる。立ったままの礼拝はどこか儀礼的だし、立ったままの対話は、いつも表面的に流れてしまう。時に対決姿勢を崩せないことも多い。そういう意味で信仰と対話は似ているといえるし、本来、同質なのかもしれない。
「まあ、坐りいな」
第38号 「桜梅桃李」再考
【2008/01/01】 新年おめでとうございます。今年もご愛読のほどお願い申し上げます。
「年年歳歳花あい似たり 歳歳年年人同じからず」
花は毎年毎年、同じようにきれいに咲くが、人は月ごと年ごとに変わっていく。ひとの言葉もまた同じである。人が変われば、その使われる言葉も微妙に変化していく。
第37号 消えた日蓮の御書群
【2007/12/23】 日蓮から手紙をもらった人を、その数の多さから、富木、南条、四条、池上の四氏を四大檀越(だんのつ)と言う。これも宗派意識から、その名が入れ替わることもある。そんな称号はこのさい関係がない。大きな影響力をもった波木井氏への手紙の数が少ないのは、やはり近隣にに住み、その子息たちが直接日蓮のもとに出入りしていたことと関係があろう。問題は池上氏で、弟兵衛志に比べて兄宗仲宛てのものが極端に少ないことである。これはなぜだろうか。
第36号 日蓮の身体観
【2007/12/10】 日蓮への考察は、単に専門の学者や日蓮の信仰者ばかりではなく、広く他の分野からのアプローチがあっていいと思う。今回取り上げるのは解剖学者の養老孟志氏の『日本人の身体観の歴史』(1996年、法蔵館)である。養老氏は、この著作において日蓮の身体観について言及している。氏の見解は辛辣である。
第35号 月水御書について
【2007/12/08】 「月水御書」のもつ文献学上の留意点というのは、この御書は録内御書に入れられているが、そこでは後半に現「題目弥陀名号勝劣事」が一体接続されている点である。近代になって、別御書として前半を「月水御書」、後半を「題目弥陀名号勝劣事」と分離された。このあたりの事情は興風談所の『御書システム』に詳しく解説されている。分離は合理的なものだし、テキストにも特に不審な点はない。ただ、魯ひとは別な側面でこのテキストを興味深くながめている。
第34号 日蓮とジェンダー(その三)
【2007/12/07】 このテーマについては、つとに末木文美士氏や植木雅俊氏がその著作で見解を発表している。魯ひととしては、次期作『日蓮弟子考』の一環として、女性信徒についての考察の中で論じるつもりで暖めていたことでもあったが、二番煎じになることを恐れて著作の構成からはずすことにした。だだ、時代背景の探索など、魯ひと独自の見解があるので、このレターで提示することにしたものである。
第33号 日蓮とジェンダー(その二)
【2007/12/05】 「男はこうで、女はこうである」といった形式的、紋切り型の認識や評言は、ときに抑圧と差別を生み出すことになる。それが日蓮の意図から離れて「ダイショウニンがこう仰せである」という形で突きつけられるとき、その抑圧効果は相当なものになろう。
第32号 日蓮とジェンダー(その一)
【2007/12/04】 「女子は門をひらく、男子は家をつぐ」と。日蓮とジェンダー(性差)の問題を考える上で、上野殿御返事(日若御前誕生事)のこの文は、多くの議論を生むものと思われる。ただ、言葉の断片に直接反応するより、日蓮が語った文脈とその背景の上で考察すべきだろう。
番外 再開のごあいさつ
【2007/12/02】 「からぐらの風」は、魯ひとの健康上の理由から、長らく休刊しておりました。
未だ、本復とは参りませんが、少しずつ再開して参りたいと思います。
第31号 高木豊先生
【2007/08/17】 『日蓮自伝考』も発刊から一年以上経過し、ようやく自分でも客観的に見直せるようになった。発刊直後に、一読者として通読するわけだが、そのころは、どちらかというと、はやくこの本から離れたいという意識の方が強かった。それだけ長期にわたってどっぷり浸っていたわけだからやむをえない。その後、この一年間、いろいろな方から懇切なご指摘をいただいた。そして多くのことを気づかせていただいた。ありがたく、改めて感謝申し上げたいと思う。
第30号 『立正安国論』にみる平和への視点
【2007/08/15】 一口に仏教は平和主義だというけれど、単なるスローガンではなしに、「では、ブッダや自らの祖師なりが、戦争と平和というものを、どのようにとらえていたのか」ということを、この八月十五日を機会に考えてみるのもよいのではなかろうか。「われらが日蓮は如何なりや」と。今回は日蓮が掲げた代表的著作たる『立正安国論』から、日蓮の平和への視点をみてみることにしよう。
第29号 祈雨の勝負について
【2007/08/08】 拙著『日蓮自伝考』について、読者の方から
末木文美士氏の『日蓮入門―現世を撃つ思想』2000年、ちくま新書
についての論及がないことについてご指摘を頂いた。たしかに『日蓮入門』の第二章には「自ら紡ぐ神話――『種種御振舞御書』」という一節が設けられて、『種種御振舞御書』についての懸案が丁寧にまとめられてある。このことに気がつかなかったのは迂闊といえばうかつであった。むしろ、これを引きながら論じた方が、論点を整理できて、もっと読者にわかりやすく自説を展開できたのにと残念に思われる。
第28号 神社不参は最後の砦
【2007/08/06】 暑い夏、また八・一五がやってくる。かまびすしい靖国神社をめぐる議論もくりかえされよう。この問題のなかで、保守派の人々(つまり力の信望者)が盛んに主張しているのが、人は死んだら仏様になる。国のために死んだら神様になる。死んだ人の罪を云云するのは間違っているという論点であった。
第27号 パラドックスと自己肥大
【2007/08/05】 『沙石集』に載せられた説話のうち、もっとも著名な話をご紹介する。おそらく皆さまも一度は聞いたことがあると思うが、それが『沙石集』から出た話であることは、案外知られていない。その説話とは「無言の行の話」。
第26号 『沙石集』について
【2007/08/04】 次作『日蓮弟子考』の執筆も少しずつ進んでいる。ここでちょっとしたツールとして使っているのが無住の『沙石集』である。この『沙石集』を一口に紹介すれば、中世の説話集であるが、それは単に説話集に留まらず、顕密時代といわれる日蓮と同時代の知識人から、一般の庶民いたるまでの人々のものの考え方を知ることができる貴重な文献である。ボリュームも160篇を越える膨大な説話が集められている。
第25号 幼子は佐渡へ行ったか
【2007/08/02】 興風談所が月毎にウェブで公開しているコラムは、気鋭の学者さんが執筆しているだけに、非常に充実しており、研究者にとって、今では眼が離せない必見のページとなっている。
今回2007年8月度のコラムは「日妙聖人は幼子を佐渡に連れて行ったか」というタイトルで山上弘道師が執筆している。
http://www5f.biglobe.ne.jp/~goshosys/colum_ft.html
第24号 系年論と真言批判
【2007/07/31】 日蓮の御書の系年を考える上で、準えていえば鉱物見本の《モースの硬度計》{01}の役割を担っているのが真言批判のあり方である。日蓮の公の真言批判は文永八年の法難に際して平頼綱に直言したことを嚆矢とし、それも弘法空海の東密批判から、やがて慈覚・智証の台密批判に及ぶという時間的経過をもっている。したがって、この流れで御書を編年配列すれば一種の《硬度計》ができる。いま、系年を判定したい御書に真言批判が含まれていれば、この流れの中のどこに位置づけられるかをみれば、その御書の系年が判定できるというわけである。
第23号 『蒙古事』の系年
【2007/07/27】 『蒙古事』の系年について、『平成新編』では弘安二年八月六日につけている。なぜ、弘安二年としたのかについては分からない。おそらくは『異体同心事』を弘安二年につけたことに関連して、こちらも同年においたものであろうか。しかし、別御書とした以上は、独自に系年を考察する必要がある。以下、魯ひとの考察を試みる。
第22号 『異体同心事』
【2007/07/24】 からぐらの御書データでは、第五版から『異体同心事』を二つに分割した。この御書は前半と後半とでは、明らかに対告衆が違っており、本来別のものだということは、早くからいわれていたことである。ただこの御書は熱原法難と深くかかわっており、熱原法難の研究の進展と睨み合わせて『異体同心事』の取り扱いには十分な慎重さが求められる。解釈においてはなおさらである。
第21号 『ブッダのターミナルケア』
【2007/07/15】 いかなる人であれ、人は「人として生きた」という事実において、その死は厳粛なものである。誰にも人の死に対して単純に「勝ち負け」の評価を下せるものではあるまい。もし死と厳粛に向き合えない人があるとすれば、それこそ悲しむべきことである。動乱の世では、人は無感動になり、人の死は塵芥のように処理される。今はどうなのか。残念ながら今も死と向き合えない人がいる…。
第20号 「我深敬汝」の人
【2007/07/09】 大阪の四天王寺の真ん中に「亀池」と通称される池がある。そこには何千(ひょっとして何万)匹もの亀が棲んでいる。よく見ると全て首に赤い筋がある。これは日本産の亀ではなくミシシッピ原産のアカミミガメである。昔は日本のイシガメやクサガメがいたのだが、淘汰されて今は一匹もみることができない。このアカミミガメは幼体をミドリガメといい、夜店の客引に売られていたものであった。それか大きくなって飼いきれなくなって、飼い主によって、ここに捨てられたものである…。
じつは中世以来、ここ四天王寺は、亀ならぬ人の捨て場所でもあったのだ。
第19号 ハンセン病と日蓮
【2007/07/04】 近代日本という国家は、かつて優生法や癩予防法の名のもとに、本来感染力の弱く、治癒も可能なハンセン病者を隔離し、著しい虐待や人権侵害を長期にわたって行なってきた。いわば国家が犯罪を犯してきたわけである。国家の犯罪とは何か。はっきり言えば国民一人ひとり、我々自身が共犯者であり、加害者であったということである。
この国の文化や宗教の今後の健全な発達のためには、私たち一人ひとりがこの問題から目をそらさず、正面から見据えていく必要があるだろう。日蓮の仏法とて例外ではない。この問題から目をそらした時、日蓮の仏法から未来は消える。
第18号 教観相対と四重興廃
【2007/07/01】 ところで、この教観相対なる発想には、本迹の相対を次の段階で本迹一致にひっくり返してしまう、論理としては大変なトリックが潜んでいる。なかなか厄介なもので、うっかりしていると富士派の教義体系がこけてしまいかねない。じつは教観相対の発想は富士教学の中枢にも忍び込んでいるのである。富士教学の中枢というとご存知『本因妙抄』である
第17号 『煩悩即菩提御書』について
【2007/06/29】 私たちが単純に御書の世界だけに浸っている場合、また宗史宗学の世界に閉じこもってものを考えていると、そこに書かれていることが、そのまま日蓮の思想だと錯覚してしまうことがある。しかし、もう少し広く、思想史の流れのなかで、御書をみていると、同時代の天台や浄土宗の文献にも御書と同じ語彙、術語が多く使われていることがわかる。
第16号 中古天台について
【2007/06/28】 日蓮の仏法を歴史的にとらえようとすると、どうしてもバックグラウンドとしての中古天台の知識が必要になってくる。ところがその一般的なイメージは漠然とし、混沌としているように思われる。ネットで検索してみても、それぞれが、それぞれの立場で気ままに述べており、全体像がつかみにくい。そこで、少し自分自身の整理の意味で、日本天台の歴史を概観してみたいと思う。
第15号 魯ひと版『十大部御書』
【2007/06/27】 魯ひとには、御書は日興のいわゆる十大部を中心に学ぶべきだとの認識があり、その認識のもとに魯ひと独自の編集になる紙本の『十大部御書』を造っている。限定一部。必要に迫られて作ったもので公開の予定はない。ただ、同学の皆さまの参考になればと思うので、構成、およびアイデアをご紹介する。
第14号 真蹟至上主義の落し穴
【2007/06/25】 「ぼくは真蹟のある御書しか読まない」「真蹟だけの御書全集をつくるべきだ」とおっしゃる方に幾人もお会いした。しかし、それは出土品だけでお城を復元しようというようなもので、はなから無理な主張だと思う。また、真蹟に書いてあることが日蓮の思想だと断言できるのかという問題もある。日蓮の言葉と表現は時系列で変化している。ひとつの御書に何度も手を入れている例もある。引用にしても肯定的引用と否定的引用の違いがある。現代文法との違いもある。断片化した真蹟だけでは正しい読解は不可能だと思う。
第13号 日若御前
【2007/06/24】 子どもの名前に関する前回の疑問に対する続き。子どもの名づけといえば、日蓮が南条時光の次男に名づけた例がある。「上野殿御返事」(日若御前誕生事)である。この書は真蹟こそ伝わらないものの、日興の写本があり信憑性は極めて高い。とすれば、思索はもう一度振り出しに戻ることになる。思索は時に迷走し、行きつ戻りつする。それが思索と研鑽の現場である。
第12号 ハンドルを使うという思想 二
【2007/06/23】 日蓮がいた中世という社会は、実名をあからさまにすることを忌み、専らハンドルが通用していた社会といえる。特に女性や子どもの実名が文の端に上ることはほとんどなかった。女性の実名を口にすることは、時に男女関係を意味したし、子どもの実名は憑依の恐れから避けられた。そのような常識からいうと、四条金吾宛という三通の手紙には疑問符がつく。
第11号 ハンドルを使うという思想
【2007/06/22】 PCの世界では、ハンドル(handle)という発想が不可欠なものとしてある。一般には、車のハンドル、取っ手、握り、取っ掛かりという意味で使われるが、この言葉には、別に、「名前」という意味もあり、あだ名、ニックネーム、最近ではネット社会での通称として使われることが多い。(ハンドルネームというのは重複呼称)。
じつは御書のデータベースや御書の研究の上でも不可欠の要素としてある。<からぐらシステム>では、とくに重要な要素となっている。今回は、この話題を提供しよう。
第10号 テキスト批判「法妙人貴事」
【2007/06/20】 御書の学問研究の第一歩は、テキスト批判から始まる。その文献の何をもって日蓮の書とするのか。その文献が本当に日蓮の心を正しく伝えているのか。文献を精緻に検証することが求められる。「権威ある大学匠が選び出されたから疑う余地がない」「唯受一人の秘伝である」「昔から正しいとされてきた」、…といったことを、宗教的に信ずることは自由であるが、学問の場では何の価値も無い。むしろ権威主義として排除される。
第9号 からぐらシステム公開
【2007/06/18】 ながらくお待たせしてしまいました。<からぐらシステム>の公開バージョンの整備がやっと完成しました。トップページからリンクを張ってありますので、ご利用ください。からぐらシステム、からぐらエディタは、御書を研鑽する人が、御書を紐解き思索する場を想定して作られています。ここで一番大切なのは、研鑽する人が思索し、それをもとに文章なり、原稿を書くことにあります。ですから、思索のスピードに適い、さくさく動くもの。ストレスがなく思索の邪魔をしないもの。それでいて質的には一定の水準のあるもの。そういう物書き、執筆者といわれる人の贅沢な要求を満たすものというコンセプトで作られています。
いうなれば、からぐらシステムは職人がつくったシステムです。
第8号 御書の編年
【2007/06/15】 現在、からぐらシステム、からぐらエディタへの要望として、強く寄せられているものに「編年インデックス」がある。御書をその作られた順序に配列したインデックスである。この要望はもっともなことで、いま開いている御書が、御書全体の流れの中でどの辺りに位置するのかを、即座に把握できるという利点がある。それは、御書の内容の理解の上で必要不可欠なことでもある。編年順に御書全編を通読したいという人も多い。
第7号 言論の媒体
【2007/06/10】 自らの思い、自らの声を言論として、世に問うていくためには、自らの思索と言葉の修行はもちろんとして、やはり、どういう媒体を利用するかということも重要な問題ではある。中世の日蓮においてはもっぱら手紙であった。また、日蓮ほど手紙の効用を知り、言論として活用した人はいない。
第6号 からぐらシステム
【2007/06/02】 先月末、バージョンアップ(Ver4.0)した「からぐらエディット」が、魯ひとの許に届けられた。独自のマクロ言語(スクリプト)を搭載したビックバージョンである。またそれを公開するページもすでに完成している。しかし、リンクを張っていないので、現在のからぐら文庫のホームページからは、ダミーの古いページしか見ることができない。いまだ、公開できずにいるのは、じつは肝心の御書データの公開バージョン(改訂第五版)の整理が完了していないからである。現在、突貫作業中なので、いましばらくお待ち願いたい。
第5号 再読『滝泉寺申状』
【2007/05/29】 現在進めている考察のなかで、『滝泉寺申状』がカギになることに気がついて、『滝泉寺申状』を再読した。日蓮教学研究所が関わった近年の編纂になる『平成新修』と大石寺の『平成新編』の両本を比較しながら、何度も読み返したが、両本とも何度読んでもしっくりこない。やがて両本に根本的な誤読があることに気がついた。もっとも、これは我が「からぐらデータ」も同列である。
第4号 『上行菩薩結要付属口伝』は偽書
【2007/05/27】 以前、『撰時抄』の研鑽のなかで、関連する御書をも総ざらえして検証したが、そのなかで、奇妙なものにぶつかってしまった。日蓮の御書と伝えられるものに『上行菩薩結要付属口伝』があるが、「口伝」などとあって以前から何となく胡散臭いものを感じていたが、詳細に調べると、やはりとんでもない問題を抱えていたのである。
第3号 「天台電子仏典CD3」
【2007/05/24】 天台宗典編纂所から、待望久しかった「天台電子仏典CD3」が送られて来た。収録されているのは、日本天台初期(聖徳太子含む)から日本天台平安中期(源信のころ)までで上古天台の最澄、円仁、円珍、安然、源信らの全著作が網羅されている。計646書目。源信まで含まれるところがミソで、重要な中古天台の書物は多く最澄や源信に仮託されているから、文字どおり中古天台の重要典籍が含まれていることになる。
第2号 『末法燈明記』
【2007/05/21】 本年年頭に読者にお送りした年賀状には、からぐら文庫で最澄を語り『末法燈明記』の考察を連載する旨を記していた。連載は、ML上で昨年末から始まって三月まで二十五回にわたって続いて終了した。その分量はゆうに一冊の書物の量に達した。執筆の動機は、日蓮・日興の師弟観を調べるうちに、その前に日蓮が師匠として私淑した最澄と日蓮の間における師弟観を理解しておく必要性を感じたからである。
創刊第1号 詩を読む友へ
【2007/05/18】 日蓮の御書を読んでいると、これはひとつの「詩」ではないかと思うことがよくある。決して言葉が練られているという意味ではない。韻を含んでいるという意味でもない。むしろ日蓮の文体は破格である。しかし、それでも日蓮の言葉は、心の中に突き刺さり、イメージが五体を包みこんでいく。それは詩、そのものの特性だと思う。強い思い入れをもってはじめた、このニュースレターの第一号に何を書くか。呻吟するところであるが、まずは、詩を読む若い友人に贈った私自身の詩を載せることにする。
創刊準備2号 編集方針
【2007/05/17】 からぐら文庫は、サーバーの引越しを無事完了し、新しく生まれ変わりました。従来の「会員制からぐら文庫」を廃止して、魯ひとのホームページとしての位置づけを明確にしました。そして、魯ひとが著書の読者に発行するニュースレターと連動させる形で、その内容をさらに広く一般にも公開してまいります。
創刊準備号 ご案内
【2007/05/12】 このたび、会員制の「からぐら文庫」は解消し、より開かれた形で、魯ひとの日蓮と日蓮の思想に関する研究と研究情報を皆さまに公開していくことになりました。
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